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オリンピック東京決定の勝因 

2013年09月10日 ナビトモブログ記事
テーマ:人生

 どんな戦いでも、戦いである以上、必ず勝敗が分かれる。

 勝ったから良い、負けたから悪い、と結果を受け止めるだけで終わってはならない。なぜ勝ったのか、なぜ負けたのか、勝因と敗因の分析が大事だ。これを的確に行ってこそ、進歩することができるからだ。

 去る9月8日、2020年オリンピックの開催都市の選考において、東京がマドリードとイスタンブールを破り、開催都市に決定の栄誉を担った。

国際オリンピック委員会(IOC)総会における第1回投票では、東京42票、イスタンブール26票、マドリ―ド26票の得票であり、東京は、首位で通過し、決選投票に進んだ。

 イスタンブールとマドリードは同数で2位であったことから、改めて投票を実施し、マドリードが45票対49票で敗れ、東京と争う相手はイスタンブールに決まった。

 決選投票の結果は、東京60票、イスタンブール36票で、東京の圧勝に終わった。
 
 東京の圧勝に終わるという結果は、世界中の大方の予想とは食い違う結果であった。

 IOC総会の開会前日までのネットにおける配信ニュースのヘッドラインを振り返れば、一目瞭然だ。

 踊るヘッドラインは、次のようであった。

9月5日 オリンピック開催地、マドリードが優勢か:関係筋明かす 東京は?

9月5日 東京、汚染水問題で苦境 マドリードに風か

9月6日【速報】 オリンピック マドリード確定で東京落選か?

9月7日 【カウントダウン五輪決定】あす朝運命の投票 東京、わずかに優位か

9月7日 東京・マドリード決戦か…「予測不可能」な接戦

 大方の予想は、「予測不可能」な接戦と見ていたのだ。

 今回の2020年オリンピックの開催都市の決定に当たり、マドリードやイスタンブールに対し、東京の独自性や優位性を印象づける基本概念は、「 復興の加速と世界への感謝」であり、「復興五輪」という開催理念が切り札になると見られていた。

 投票権を有する100人弱のIOC委員は、「復興五輪」を掲げる東京に賛意を抱く。マドリードの開催理念は「マドリードは未来を明るくすることができる」 ということらしいが、これは、抽象的すぎる。イスタンブールの開催理念は「イスタンブールは東西の懸け橋になる」だが、とっくにグローバル化している世界において、「東西の懸け橋になる」もないだろう。

 しかし、問題は、汚染水漏れなどへの福島原発事故対策に理解が得られるかどうかだった。

 日本政府は、去る9月3日、「福島第一原発の汚染水問題については、東電任せにせず、政府が前面に立ち、解決に当たることとする」旨の方針を決定して表明した。
 オリンピック開催都市決定のわずか5日前の方針決定が功を奏するのか、疑問だった。

 だから、日本国民は、開催都市が東京に決定されるよう、祈る気持ちで、固唾を飲んで推移を見守った。

 投票権を有する100人弱のIOC委員が三つの都市の最終プレゼンテーションの前まではどこを支持し、最終プレゼンテーションの結果によって、事前の支持予定を変えたのか、変えなかったのか、各IOC委員の投票行動の推移は、誰にも分からない。オリンピックの神様を除いては。

 それゆえ、想像を逞しくさせることができるというものだ。

 私は、大方の予想どおり、 最終プレゼンテーションの前までは、東京とマドリードで「予測不可能」な接戦と見るのが正解だと思う。

 以下、私がオリンピックの神様とのコミュニケーションを試み、得られた感触を基にして、記述していくこととする。

 最終プレゼンテーションの前の時点では、IOC委員の投票予定数は、東京34票、マドリ―ド34票、イスタンブール26票であった。やはり、東京とマドリ―ドは、34票の同数だったのだ。

 したがって、最終プレゼンテーションの結果によって、IOC委員のうち8人が投票予定をマドリ―ドから東京へ変更したことになる。

 それでは、どのような理由で8人のIOC委員が投票予定を変更したのか。

 まず、汚染水漏れなどへの福島原発事故対策についての日本の対応がIOC委員の投票行動にどのような影響を与えたのか。

 この点については、最終プレゼンテーションの結果として、日本の対応に理解を示さないIOC委員の分だけ、票が東京からマドリ―ドへ移る。東京にとっては、マイナス要因だ。

 しかし、東京にとってのプラス要因も当然あり得る。東京のプレゼンターの誰かのスピーチがIOC委員をいたく感動させた分、票はマドリ―ドから東京へ移る。東京にとっては、プラス要因だ。

 例えば、事前の支持予定がマドリ―ドであるIOC委員が、東京のプレゼンターの誰かのスピーチに感動して、東京支持に予定を変更した後、原発事故対策についての日本の対応に納得せず、マドリ―ド支持に戻ることだって、あり得る。人間だもの。感情の動物だもの。

 安倍首相は、最終プレゼンテーションのスピーチで、福島原発事故の汚染水漏れについて、「状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えることを許さない」と強調した。

 これに対しては、ノルウェーのIOC委員からなぜそういうことが言えるのかという質問が出た。
安倍首相は、「汚染水の影響は原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で、完全にブロックされている」と説明した。
食品や水からの被曝量も厳しい基準を大幅に下回るとし、「健康問題については今までも現在も将来も全く問題ない」と話し、「抜本解決に向けたプログラムを私が責任を持って決定し、実行していく」と約束した。

 このことによって、票が東京からマドリ―ドへ移るというマイナス要因はなくなった。つまり、この限りでは、IOC委員の投票予定数が東京34票、マドリ―ド34票の同数であることは変わらなかった。

 したがって、東京のプレゼンターの誰かのスピーチによって、IOC委員のうち8人が投票予定をマドリ―ドから東京へ変更したことになる。

 東京の最終プレゼンテーションでプレゼンターのトップで登壇したのは、佐藤真海さん、31歳。
パラリンピック大会で、アテネからロンドンまで3大会連続して女子走り幅跳びの日本代表を務めた。

 「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです」

 「19歳のときに私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました」

 「でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました」

 「そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました」

 「私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました」

 「しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました」

 「自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした」

 「私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました」

 「そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています」

 「私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです」

 佐藤真海さんは、時おり涙ぐみながらも、終始、スマイルを浮かべながら、巧みな英語でスピーチし切った。堂々たるものだ、という表現がふさわしい。

 佐藤真海さんは、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県は気仙沼市の出身だという。
 
 東京の最終プレゼンテーションでは、もう一人のアスリートが登壇した。

 太田雄貴さん、27歳。日本を代表する世界的なフェンシング選手だ。北京オリンピックでは個人で、ロンドンオリンピックでは団体で、それぞれ日本人初のメダル、銀メダルを獲得している。
オリンピックの申し子みたいな選手だ。

 太田雄貴選手は、気合が入った表情で、いかにも男らしく、時折、笑顔を浮べながら、英語の熱弁を続ける。
 
 「アスリートとして、私たちの視点が取り入れられているのを誇りに思います。例えば、選手村は2020年東京大会の中心です。精神においても、地理的にも」

 「東京は、オリンピック・ムーブメントをプロモーションするための素晴らしいプラットホームを確実に開催します」

 「そのプロモーションは日本の若者文化を世界規模にアピールすることとともに進めていきます。メッシ、カカや内村選手などの実在するスター選手が、アニメのヒーローたちから刺激を受けました」

 「イノベーションに基づいたプロモーション」

 「そのすべてが、より多くの若者をスポーツに結びつけます。そして彼らは、私のように、その価値を通して成長することができます。日本で、そして世界中で」

 二人のアスリートのほかでは、フリーアナウンサーの滝川クリステルさんのスピーチが印象深い。
彼女は、流暢なフランス語で日本の「おもてなし」を紹介した。鼻にかかった“本場”のフランス語が場内に響いた。

 私は、トップで登壇した佐藤真海さんのスピーチが終わった瞬間、東京は勝ったと思った。

 彼女のスピーチは、彼女が語ったからこそ、全世界の人々に感銘と感動を与えた。
 今回のイスタンブール、東京、マドリードが行った最終プレゼンテーションのテレビ中継を全部見たが、一番人々の心を打ったのは、佐藤真海さんのスピーチだった。

 
 それと同様に、フェンシングの太田雄貴選手の熱弁も説得力があった。
やはり、アスリート二人から言われると、IOC委員の納得の仕方が違ってくるというものだろう。
 騎士道を重んじるヨーロッパのIOC委員には、フェンシングの世界的な名選手である太田雄貴さんの物言いは、格段に効果的だ。

 それから、IOCの第一公用語はフランス語だし、IOC委員はレディファーストや女性には弱いから、滝川クリステルさんの鼻にかかったフランス語での「おもてなし」も効果があった。

 そういうわけで、佐藤真海さんのスピーチで4票、太田雄貴選手のスピーチで3票、滝川クリステルさんのフランス語で1票、計8票がマドリ―ドから東京へ移った。

 まあ、佐藤真海さんで4票、太田雄貴選手で3票と、1票の差がついたが、オリンピックの申し子である太田雄貴選手は、騎士道精神で、理解してくれるだろう。その1票が滝川クリステルさんに回ったことも一瞬で察してくれるはずだ。


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