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平成の虚無僧一路の日記

吉川英治『宮本武蔵』に「虚無僧」が 

2013年08月26日 外部ブログ記事
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吉川英治『宮本武蔵』の「火の巻」にも「虚無僧」が登場します。

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当然人は住んでいないものとばかり思っていた家の奥に、
風で燃え出した炉ろの火がぱっと赤く見え、しばらくすると
尺八の音がそこから聞えだした。

ちょうどよいねぐらとここに一夜を明かしている虚無僧らしい。
独り尺八を吹いているのだ。それはまた他人に聞かそうためでもなく、
自ら誇って陶酔している音でもない。秋の夜の孤寂の遣瀬なさを、
無我と三昧に過ごしているだけのことなのだ。

一曲終ると、虚無僧は、ここは野中の一軒家と、安心しきって
いるらしく独り言に――

「四十不惑というが、おれは四十を七つも越えてから あんな
失策をやって、禄を離れ家名をつぶし、あまつさえ独りの子まで
他国へ流浪させてしまった。慚愧にたえない。死んだ妻にも
生きている子にも会わせる顔がない。

このおれなどの例を見ると、四十不惑などというのは聖人のことで、
凡夫の四十代ほど危ないものはない。油断のならない山坂だ。
まして女に関しては・・・。

二十代三十代なら取り返せるが、四十代の失敗は二度と芽を
出すことがむずかしい」

浪人の垢じみた着物を着て、その胸に、普化禅師の末弟と
いう証ばかりに黒い袈裟をつけているに過ぎないのである。
敷いている一枚の筵は、常に巻いて手に持って歩く彼の唯一の
衾であり雨露の家だった。

「やめよう、また愚痴が出て来おった。……おお月が出たな、
野へ出て、思うさま流して来ようか。そうだ、愚痴と煩悩を
野へ捨てて来よう」

尺八を持って、彼は外へ出て行った。

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