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平成の虚無僧一路の日記

「とはずがたり」に「暮露(ぼろ)」が 

2013年08月26日 外部ブログ記事
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中日新聞 8/14 に「瀬戸内寂聴」さんが『とはずがたり』について
書いていました。

『とはずがたり』は、鎌倉時代、後深草院の寵愛を受けた「二条」という
女房が、自らの半生を赤裸々に告白した文芸作品です。

原本は宮内省の図書寮に永く眠っていて、公開されたのが、戦後の
昭和25年ですから、『源氏物語』や『更科日記』『蜻蛉日記』ほど、
世間一般には知られていません。

それを元に、「瀬戸内寂聴」が『とわずものがたり』と題して
「婦人公論」に連載したのは、昭和45年(1970)でした。

『とはずがたり』とは「問われぬままに 一人語りする」という意味。
2歳で母に死なれ「後深草院」の元に預けられていた「二条」は、
14歳の時、後深草院に犯され妊娠。 その後も皇族や貴族と
次々と関係を結んでいくという内容ですから、戦前、戦中は
とても公開できなかったのでしょう。

平安時代から、室町時代までは、フリーセックスは自然の姿だった
ようです。それを糺したのは、徳川二代将軍「秀忠」です。彼の妻は
「お江与」。恐妻家でしたから。


さて、この『とはずがたり』の巻四に「ぼろ」が出てくるのです。


正応2年(1289)、二条は37歳。出家して尼となり、諸国遍歴の
旅に出ます。熱田宮、三島大社に詣で、鎌倉に行き、鎌倉幕府の
要人とも親しくなり、浅草、善光寺と旅をします。

そして「ある時は僧坊に留まり、ある時は男の中に交わる」と
言いながら、その先

「修行者といひ、“梵論梵論(ぼろんぼろん)”など申す風情の者と
契りを結ぶ例(ためし)もはべるとかや聞けども、さるべき契りもなく、
徒(いたずら)にひとり片敷きはべるなり」と独白しているのです。

つまり、旅に出れば、修行僧や「梵論梵論」などという風情の者とも
契りを結ぶというが、そんなことは無かったと言っているのです。

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