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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧の起源、「暮露」と「薦僧」は別? 

2013年08月09日 外部ブログ記事
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「虚無僧」と書くのは、江戸時代1600年代に入ってから。
それ以前は「虚妄僧、薦僧」。さらに「薦」は、「暮露、
ぼろ、ぼろぼろ、ぼろんじ、梵論字、梵字」と同じと
されていました。

鎌倉幕府の最末期1330年頃に書かれた吉田兼好の『徒然草』に
「ぼろぼろと言う者 昔は無かった。最近ぼろんじ、梵字、
漢字など云ひける者 その始めなりけるとや」とあり、この
「ぼろ」こそ「虚無僧」の前身と言われていました。

しかし「薦」は尺八を吹くが、「ぼろ」は尺八は吹かない。

「ぼろ」というので「ボロボロの着物を着ているから」と
いうのが一般的 見解でしたが、最近、異説が出てきました。



「ぼろ」は、紙で作った「紙衣(かみぎぬ)」を羽織って
いました。「紙で作った衣だから、すぐボロボロになる
安物=貧乏人の着物」と思われますが、どうしてどうして
現代でも「紙子」は しっかりしていて結構いい値段が
します。

ですから「紙衣」は「暮露」の定番衣装であって、決して
ボロボロの衣では無かったのではないかと思えるのです。

「暮露」の出で立ちは、「紙子」の着物に「黒の袴」と
「大きな日傘」でした。

一方「薦僧(こもそう)」も、「紙衣」ですが、露宿するための
「薦むしろ」と「面桶(めんつう)」という弁当箱を腰に下げ、
尺八を吹いていました。

ですから「暮露」と「薦僧」は別物なのです。

『徒然草』に「ボロ」に「梵論」という漢字を当てて「梵論梵論、
梵論字」と書かれていますので、「これはインドのバラモンか。
暮露はインドや支那からの渡来人」などという説まで出てきました。

さて、最新の説は「ボロとは『一字金輪の呪=のうまくさんまんだ
ぼたなんぼろん』に由来するのでは?」というものです。

「暮露」は 長い柄のついた大きな傘を持ち、傘の柄を叩いて
「のうまくさんまんだ ぼたなんぼろん」と唱えていたので、
「ぼたなんぼろん、ぼたなんぼろん」から「ぼろんぼろん」
「ぼろんじ」などと呼ばれるようになったという説。

私はこの説を信じます。ちなみに、「漢字」とも書くというのは
「(社寺)の勧進」の「かんじん」の当て字ではないかという
解説もありました。

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