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白き心  

2013年07月17日 ナビトモブログ記事
テーマ:暮らし

最近、俳句や川柳を作っては、投稿して遊んでいる。
 
 私の俳句や川柳の作句は、自己流で良しとするところから始まっている。

 俳句と川柳は、五七五に、自分で感動し、感激したこと、面白いと思ったこと、あるいはその時々の喜怒哀楽の感情を込めて、作句すればいい。要は、基本的には、自分で楽しめば、それでいい、という考え方だ。
  
 私の考えでは、俳句と川柳の違いは、季語があるかどうかだ。季語があるのが俳句、ないのが川柳である。

 また、ネットで俳句と短歌の違いについて調べていたら、いわゆる恋の歌は、短歌には当然のごとくにあるが、俳句で恋の歌を扱うものは、少ない、あるいは珍しいというような説明を目にした。

 しかし、私は、そうは考えない。俳句と短歌の違いは、俳句が五七五、短歌が五七五七七であることしかない。だから、恋を扱った俳句もありうる。

 俳句や川柳を作り始めてから、頭の中で、自然発生的に、勝手に五七五が駆け巡るようになってきた。そして、五七五という形の中に、想像や空想を込めるようになってきている。言い換えれば、想像や空想の世界で頭が遊んでいるような気がするのだ。断わっておくが、頭がおかしくなってくるということでは決してない。
 
 したがって、五七五に詠み込むものは、実体験に基づくものでもいいし、実体験に基づかないものでもいい。

 恋の歌は、短歌には当然のごとくにあるが、俳句においても、恋の歌を詠んでいい。恋の歌は、短歌においても、俳句においても、堂々と詠んでいいのだ。

 要は、私の考えでは、俳句が五七五、短歌が五七五七七であることの違いしかない。よく、俳句には季語が必要だが、短歌には必要ない、と言われる。しかし、私に言わせてもらえば、短歌にはなくてもいいぐらい考えればいいのではと思う。だから、短歌に季語を用いてもなんら差し支えない。

 ま、そんなわけで、私にだって、与謝野晶子の世界を俳句に詠み込むことができる。

 ということで、先に、私は、次のように、初の写真俳句を詠んでみた。

 赤き薔薇
 道ならぬ恋
 予感させ

 そして、今、一歩進めて、短歌に挑戦してみた。私のモットーは、「人生日々挑戦 」である。

 先に、与謝野晶子の世界を俳句に詠み込んだので、それを基にして、与謝野晶子の世界を今度は短歌に詠み込んでみた。

 次に掲げるのは、私の初の写真短歌である。

 赤き薔薇道ならぬ恋予感させ
     白き心で打ち消しにけり


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 初写真俳句「赤き薔薇」   初写真短歌「白き心」



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こんにちわ〜

さつきさん

俳句・川柳〜ご自分で感動・感激は・・・
素敵なことです〜〜ね”

ブログは自分が楽しんで書き込みですから〜〜ね”
そこに、拍手 コメントが
来れば又うれしいものですね”

私は俳句・川柳は出来ませんが。
拝見するのは興味あります。

此れからも素敵な作品楽しみにしてます。

2013/07/17 12:21:09

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