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平成の虚無僧一路の日記

「牧原奇平」の自刃 

2013年07月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私の先祖で「牧原奇兵」(62歳)が戸の口に出陣して
戦死しています。62歳。当時なら老骨に鞭打っての
出陣かと思っていましたら、ネットで見つけました。

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八月二十二日、西軍 猪苗代陥落。
「白虎隊」他 諸志隊、戸の口原、強清水、大野原に
胸壁を築く。

【郡奉行・牧原奇平】は 代官属吏を督し、糧食役夫を
提供す。

二十三日早朝、西軍の先鋒土州兵来り戦を挑む。
白虎隊・奇勝隊・敢死隊は十六橋を隔てゝ戦ふ。
我が兵奮戦すと雖も衆寡敵せず且戦ひ且つ退く。
 敢死隊頭 小原信之助、辰野勇 戦死す。
 遊軍隊頭 小池繁次郎、笹山方面に進み兵を督して戦ふ。

小池・安藤・村松・常盤等戸ノ口原に止まり、一歩も
退かず戦ひて死す。

我が軍遂に支ふる能はず、水戸兵も亦敗る。
【牧原奇平】傷を被りて自刃す。

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と、つまり「牧原奇平」は「郡(こおり)奉行」であったため、
強清水近辺の村々の庄屋を通じて、兵糧と人夫の調達を
命ぜられたのだった。しかし、その兵糧が白虎隊には
届けられなかったのか。敵の侵攻が早く、強清水で敵弾に
当たり、自刃した。

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