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平成の虚無僧一路の日記

白虎隊隊長「日向内記」の名誉回復 

2013年07月09日 外部ブログ記事
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自刃した白虎隊の話は、蘇生した「飯沼貞吉が晩年に
語った話」というのが「定説」になって、あらゆる
本に書かれているが、どうも腑に落ちない点があった。

それが最近になって、次々と真相が明らかになって
きている。

飯沼貞吉の証言によれば、「前日、隊長の日向内記は
食料を取りに行くと言って 強清水まで引き返し、
そのまま帰ってこなかった」と。そのことで、
日向内記は、「戦わずに逃亡し、白虎隊士を置き去りに
した」かの如く非難され、戦後は姿をくらまさざるを
得なかった。子孫も「日向」姓を名乗れずに、長い間
消息不明だった。最近になって、日向の子孫が名乗り
出、漸く再評価されつつある。

「白虎士中二番隊」37名は、23日未明より敵の襲来を
受け、3隊に別れて逃走した。

教導役「篠田儀三郎」に従ったの17人が飯盛山で自刃。
内一人 飯沼貞吉が蘇生。

半隊長の「原田勝吉」に従ったのが7人と、小隊長の
「山内弘人」に従った者が全員帰城している。また、
途中ではぐれ、飯盛山に到着して、他の隊士の自刃を見、
後を追った者。愛宕山で敵弾に倒れた者もいる。

日向内記は、入城できた隊士を再編成して、籠城戦の
さなかも隊長として活躍している。

冨田国衛著「会津戊辰戦争 戸ノ口原の戦い 日向内記と
白虎隊の真相」

それを考慮してか、『八重の桜』では「日向隊長失踪」の
話は登場していない。

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