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平成の虚無僧一路の日記

『八重の桜』 クライマックス 

2013年07月09日 外部ブログ記事
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『八重の桜』第27回は、前半のクライマックス。
「白虎隊の自刃」「娘子隊の活躍」「中野竹子と
神保雪の死」、「山川大蔵」の彼岸獅子を先頭に
堂々の入城、そして「西郷頼母」の追放。

これら会津戦争のエピソードはもう定番。今までも
何度かテレビで放映されてきたが、『八重の桜』では、
伝えられる史実に忠実に再現してくれている。
変な脚色は要らない。

あらためて、当時の戦争の様子を考えてみると、
薙刀を振るっての白兵戦は無かったのではないか。

中野竹子一人が銃弾に当たって落命している。
敵に包囲されて至近距離で一斉に砲火を浴びたのなら
娘子隊全員が即死するはずだ。まして、竹子の首を
切り落とす余裕なんて無いはず。

大川の涙橋をはさんで、100m以上は離れての撃ち合い
で、その流れ弾に当たったのではないだろうか。
他にも「萱野権兵衛」隊もいたはずである。会津側も
銃で応戦していた。

その後、娘子隊は坂下まで戻り、竹子の首を埋葬し、
再度、城に向かい、無事入城している。

白虎隊も生き残った「飯沼貞吉」の証言では、
銃声が聞こえたというだけで、白兵戦には
なっていない。「飯沼貞吉」は「白虎隊唯一人の
生き残り」と言われるが、実は「白虎隊士」は
「士中(上級武士の子)」だけで74人いた。
その他「寄合(下級武士)」が99人、「足軽」は
62人。総勢306人もいた。

滝沢本陣から戸の口原に向かった「士中二番隊」
だけでも37名いて、飯盛山で自刃したのが20名。
残り17名は「日向隊長」とともに城に帰っている
のである。

さて、いよいよ西郷頼母は、「萱野権兵衛への使者」
として、城を出るように命じられる。「殿は私に
城を去れと・・・」、西田敏行の目に涙。この時の
「西田敏行」は(史実の)「三尺ダルマ」のように
小さく見えた。

そして次回、西郷は一子「吉十郎」を連れて城を
出る。

ということは、「五万の敵に完全包囲されていた」と
言う割りには、比較的出入り自由だったようだ。

五千人が一ヶ月も籠城していた。その毎日の米だけでも
大変なものだ。近郷の農民が夜ひそかに城中に運び
込んでいたというような話も聞いた覚えがある。

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