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寒椿     宮尾登美子著 

2013年03月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



寒椿 (新潮文庫)クリエーター情報なし新潮社

著者の育った環境そのまま。
高知の芸妓子方屋「松崎」に買われてきた四人の生涯を、
その家の姉妹のように育った娘の目を通してオムニバス風に描いてあった。

娘は家を出て作家になったと書かれており、どこまでが事実でどこまでが虚構なのか?
親が金欲しさに、貧しさゆえに、
身売りという事がまかり通っていた時代、
借金に縛られて、年輪もいかない内から体を売る事を強要され抗うことが出来ない。
その時代がそう遠くない事に唖然とする。

最初の書き出し第一章からショックだ。
芸子から身受けされ囲い者として、それなりの落ち着きある生活をしていた姐さんが
事故で首からしたが動かない脊髄損傷になる。
それでも病院の費用を出してくれる旦那の存在、危うすぎる身すすぎに息を飲んだ。
作中の人物の年齢にもその病にも職業柄
接することがあるだけに虚構だと距離が置けなかった。

子供の頃、同じ時間を過ごした五人がまるで違う生き方をして、
脊髄損傷のひとりを見舞うという時間点に集う。
まるで別々の道を経て集まった同窓生のような感じを受ける。

誰ひとり同じ道を歩いてはいない。
途中がどんなに華やいで見えても、不幸にもえても人生に勝ち組も負け組もなく、
運命に翻弄される時間があるだけのような。

しかし親が金のために子を売り、
商品になる間は次々と借金を重ねさせ身から金を絞りとるような人権無視がまかり通っていた世界。
それを生業としている家に生まれた著者の胸の内もなんとも言えない。

戦前の満州にも居た著者が描く満州の妓楼は事実に近いと思われる。
こういう歴史の汚点は語られることが少ない。
身を置いた人たちも語ろうとしないだろう。

お話はかなり苦くて重いが、どこか作者の見る目の温かさに救われているような、
高知の芸妓子方屋「松崎」では仕込みっ子とその家の娘が
分け隔てなく姉妹のように扱われたという一点にほっとしているような読後感がある。



    * 本日もウォーク寒さにつきおさぼり…ストレッチして寝よっとzzz




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