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平成の虚無僧一路の日記

「甲州の虚無僧」から 

2013年06月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



弦間耕一氏は「甲州の虚無僧」の中で、「慶長の掟」が
偽書であること、「普化宗」は江戸時代に日本で創始
されたもので、「法灯国師」の伝説は創作話ということを
明言され、その上で、近世史料に基づき虚無僧の実態を
明らかにしている。また、現在知られている虚無僧の絵や
中世の史料などもすべて網羅されているので、これ一冊で
虚無僧のことはすべてわかる。

ただし、乙黒の「明暗寺」の草創の由緒、創建の経緯など
については、はっきりしない。

「甲斐国志」によれば、出典は不明だが、「乙黒明暗寺」は
「万治3年(1660)」年、中興」とある。他の虚無僧寺も
大抵そうだが、虚無僧の普化宗は鎌倉時代に法燈国師覚心が
日本に伝えたという伝説に基づき、中世に途絶えていたのを
再興したとして「中興の祖」などと書く。だから、これは
信用できない。

弦間氏も「中興とあっても草創の場合が多くある」と記して
いる。

そして、村松志孝氏の調査では「乙黒村田中弥八郎家蔵の
元禄4年(1691)『切支丹宗門改メ帳』に明暗寺の記載がある」と
している。

元禄の頃に存在していたことは確実となり、はたして万治3年
まで遡れるかが、京都の明暗寺の草創との関係を考える上で
大変重要な問題となる。

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