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尺八と横笛吹きの独り言
42年ぶりに大学の同期会があったですよ。
2013年04月29日
テーマ:テーマ無し
●会場の霞ヶ関ビルだ。
埼玉の田舎からオジサンは乗り継いで到着。高い建物・・・・ウオー。あっちこっちと見上げて右首が痛い。
霞ヶ関ビルはなんとかたどり着きましたが、しかし着いたそのビルに「霞ヶ関ビル」とは書いていないのだよ。田舎のジー様はちょっと不安でした。間違ったかなあ・・・・
あれだけ高かった霞ヶ関ビルは周囲の建物に負けて低く感じた。ですからここが霞ヶ関ビルという確証がない。不安・・・・
警備係の方に「すいません。ここが霞ヶ関ビルですか?」などどオジサンは聞いて確認したのだよ。
●懇親会です。(昭和45年3月卒業2回生。工学部精密機械専攻。現在65〜67才)
卒業は確か100名近い。幹事の方が骨を折り、全国の同期生卒業生にハガキを出したのだが・・・・参加は10名程度でした。連休の前日ですし、遠方からここまで参加されるのはきついね。第1回目としてはこんなものでしょうか。
100名近い卒業生で、亡くなったのが3名。仲が良かった仲間もいまはいない。
・黙とう・・・・「ありがとうございました」
・大学側の先生がお二人参加。名誉教授先生(工学博士)と学科主任教授先生(工学博士)。みなさんお世話になった先生でした。
●懇親会での皆さんの活躍と現在の近況報告です。
・長野の松本から来ました。一泊します。3人で1000万の会社を設立、20年経ちました。これを機会にこのような同期会を続けて欲しい。
・30数才で印刷会社の課長、やたらと忙しい人生でした。γGTO?2800まで上がり入院。劇症肝炎。長い人生でいろいろありました。毎晩お酒を飲むためにウオーキングしています(笑)。15000歩。血圧は170あったがいまは135。「歩くことが健康に一番」。
「医者に殺されない47の法則?」という本を読んで欲しいなあ。クスリを飲むことが良いことではない。歩くことがいい。80才での父親が急に歩くことを辞めたとき、様々な病気が発症した。
・大学を出て、4社会社を変えました。34年間設計・実験・試作をやってきた。アイデアが勝負、努力だけではダメな世界。社員45名程度。この後、商社に入った。油圧での機械部品。設計、販売。営業は心労がきつい世界でした。60才からは契約社員。退職後はいま、造園業に弟子入りした。毎日日焼け。日当15000円なり。
・大手電気メーカ入社。総合開発課、新宿住友ビルの窓などを手がけた。営業・設計・外注・組立・据え付け。10年間、ロボット、搬送システム、エレベータなどをやる。
59才で退職して下請け会社に出向、現在も仕事をしています。技術部長を経て現在社長付きで社長より偉い(笑)。契約社員で週に3回出勤。ウオーキング中も携帯に連絡が入り歩きながら部下に指示している。
●35階から眼下に見える・・・・あれが国会議事堂だア。スカイツリーは反対側から見えるかい?見学に行きましたら、ここからはビルが邪魔して見えないそうだ、東京タワーが見えました。
●さて、懇親会のみなんのお話の続き・・・・
・会社は40才で辞めて自分の会社を作りました。砥石の会社。
・空手部和動流4段。警視庁機動隊で指導中。大学時代は空手部で教室にはほとんどいなく、授業は代返専門、試験はカンニング専門でした(笑)。空手一筋。いまもやっています。50才で椎間板ヘルニアをやりました。
大学を出て土方や大工をやっていて・・・・この世の中は資格が大切と発奮(はっぷん)。
建築1級・土木1級・耐圧診断士取得して現在は、設計事務所をやっている。
・岩手陸前高田出身で、東日本大震災で72000本あった松が1本しか残っていない。実家が全部流されました。35才で自動車関連部品会社。現在28店舗で年商33億。65才で定年ですがあと3年くらいは「会社にいて欲しい」ということで、現在も勤務。
・オルゴール会社で生産技術。エンジンが好き。卒業研究で統計学をやり、それに興味をもった。実験式をつくり金属学にも興味を持つ。海外、台湾に海外派遣されて自動機の開発をやった。マレーシア・中国などの現地技術メンバーの指導にあたる。ある時期に社長と意見が合わなくなり自分が身をひいた。現在下請け会社の非常勤の技術サポートをしている。家庭菜園・温泉・旅行が趣味。
●46年前の大学入学式・昭和41年4月入学だ。
懇親会の席上に大学時代の思いでの貴重な写真が回覧されました。
そこで大学入学式の写真をデジカメで接写したものだ。
小さくて見にくいが友人の何名かは確認できる。私もこの席のどこかにいるのだろう。
46年も前だ。
この写真のみなさんは昭和45年に卒業。卒業後42年たった、
一人一人に42年間の壮絶な人生ドラマが展開されことであろうよ。
●卒論で外部機関に行きまして卒論を書きました。その時の写真で右の実習服を着ているのが私だ。
場所は村山にある通産省の機械試験所だったなあ。
マンモス大学だったから、学内では卒業論文は全員はできない。そこで産学協同体制で外部研究機関でそこでの研究のお手伝いをしながら、それに関する卒論を仕上げた。
卒論のテーマは「地面振動の研究」だったかなあ?
200圓僚鼎蠅鮹肋紊ら落下させてその振動を計測する実験でした。
卒業後はこういった国や都の研究施設で研究職を希望していたが、国家上級試験はなかなか受からずダメでしたね。(在学中に2回ほどチャレンジしましたが不合格)
人生とはおもしろいもので、その研究職にあこがれて「○○研究所」と名前がついている医療関係の会社に就職しましたとさ・・・・そこで放射能のガイガーカウンタの筐体などの設計をしていましたが・・・・研究職とは違う残業残業のきつい製作現場・・・・1年4ヶ月で見切りをつけて、全国をまたにかけて何度も試験にチャレンジ(秋田・石川・静岡・東京等で受験)して教職の道に進みました。
そこでたまたま東京が受かり41年もの長い間、教職生活が続いたです。いまは無職です。よくやったよね・・・・(東京での公立学校教員試験の時は12倍の倍率でした。)
●山の手線「大塚」で二次会だ。霞ヶ関からタクシーで大塚まで移動。8名。
なかなかいい、同期会でしたね。幹事の方(同窓会長)が何から何までやっていただいた、ありがたいことだ。
●感想としては・・・・
ここに集まった同期生は、65才を過ぎても働いている方が多いということ・・・・ちょいと驚きです。
普通は60才で定年、その後嘱託で4〜5年努めてフリーで年金生活ですねえ。
(私がそう)
しかし違いましたね、多くの方が「会社が残っていて欲しい人材」で、働いているようだ。会社の社長もいるし・・・・フリーな方は少ないと感じたなあ。まだ数年は片足を会社につっこんでいるなあ・・・・すごいパワーで、生命力もある。
この団塊の世代が日本の経済成長をささえていたのだね・・・・
私などは、41年も教職をやっていて、形に残したものはなにもありませぬ。
一介のヒラ教員だわね。
それと「お酒はみなさん・・・・あまり飲みませんねえ!」ちょっと以外でした。
●42年後の今の姿
42年後にまさか、こんなピエロのような服装で尺八を吹いているとは・・・・
誰が想像したでしょう?
65才ともなれば、様々な修羅場をくぐってきて、それぞれがその道の頂点まで上りつめたことだろう。
これからは、たぶんどなたも趣味の世界に生きるですねえ・・・・
ウオーキング・家庭菜園・植木・釣り・登山・邦楽・洋楽・旅行・・・・・
●私の「今の課題」はこれじゃよ・・・・
九十九里浜大漁木遣り唄・筑波山唄・磯原節・東祖谷の粉挽唄・秋田草刈り唄・下津井節・秋田節・新庄節・天竜下れば・八戸小唄・筑後酒造唄・南部牛追い唄・秋田おばこ・
音頭の舟唄・閖上大漁節・宇和島さんさ・秋田長持唄・岡崎五万石・秩父ざんざ・十三の砂山・道南口説き・相川音頭・越中おわら・江差追分・・・・
これらを譜面をできるだけ見ないようにこれらの曲を尺八と篠笛で吹ききることじゃ・・・・
19日がボランティア演奏、26日がおさらい会だ。
うーん・・・・趣味の世界にズームイン・・・・
●追)
後、少し寝るとなあ・・・・マママ・・・・マゴ・・・・マゴ・・・・孫が来るぞーイ・・・・また戦争が始まる。
趣味と孫の世話・・・・平和じゃのう・・・・健康だからなのよ。
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