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尺八と横笛吹きの独り言

尺八と篠笛を担いで、あっちこっちに遠足だ・・・・ 

2013年04月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●5月末の「民謡おさらい会」用の譜面を整理。 

朝のウオーキングはデニーズまで。往復13000歩。
 デニーズまで、およそ30分かけてウオーキング。そこでいつもの場所で陣取り、おさらい会用の譜面を演奏順に整理。64曲中22曲が私の分担だ。
 これらの譜面は見ないで吹くのが原則だが、覚えられないのは譜面を見るしかない。
そう簡単には入魂できないものだ。あと一ヶ月でできるだけ、入魂(譜面を体に入れる)せねばならない。
「新さんさ」のあの部分・「越中おわら」のあの箇所・そんでこ・平戸・荒川土端打・武州麦打ち・・・・などなど、体にいれないといけない。

●ウオーキングの今日は、S高校(過去に野球で甲子園に出たことのある私立高校)の正門に行って登校する生徒を観察。この学校の生徒は、落ち着いていてまじめそうな生徒ばかりの学校ですね(瞬間にわかります)。中野区の生徒とは違いますね(つけまつげやミニスカートはいませんねえ)。
つい私の目は生徒指導部の目になり、「オイ、挨拶しっかりやれよ!」「そんなとこに自転車を駐輪していいのか!」・・・・言いそうになった。一種の職業病だ。
●N小学校・・・・低学年の小学生が帽子をかぶり、ノートを持ってなにやら「校庭内の観察授業」らしきものをやっている。
さらに、正門の校長先生の「学校便り」を読んでみました。そこには登校班でいつも泣いている生徒のお話があり、班長の上級生とその子がうまくいかないいお話。そして話し合いが持たれ、いまは笑いながら登校している・・・・というお話でした。
ウオーキングでなくウオッチングですね。
            
 
●入間川の河原で練習。
先日は写真のベンチで、民謡練習しました。
 ゲートボールの方達が、プレーをしながら聞いています。
ここは良い場所だ。うるさくて文句は出ない場所・・・・ここはキープだ。
越中おわら・麦や節・秋田長持ち唄・秋田おばこ・佐渡おけさ・秩父音頭・・・・花笠音頭・・
「やっぱし笛はいいやな」「いっぺい尺八をもってるだわな」などと話しかけてきました。
 「ご迷惑をかけます」・・・・などど応答した。

 
●桜山展望台下の、広場で練習。
昨日のウオーキングは往復18000歩、9.8辧
ちょいと歩くと桜山(さくらやま)展望台というお山がある。そこの展望台下に、広い広場がありました。ここだ。ここで練習したのですが、風が強い・・・・譜面が二度ほど宙に舞った。越中おわら・麦や節・秋田長持ち唄・秋田おばこ・・・・さらには「祭花第二番」を音源を聞きながら吹いてみました。大甲のレが幾分出るようになった感じ。しかしこのマイ尺八では出にくいのだ。

●昨日はハローワークにも行きました。
求職が目的でなく、高年齢求職者給付金の手続きだ。65才以上まで働くと、一時金として失業手当が一回まとめて(毎月でない)出るという制度。
 離職票やら免許証・・・・銀行振込先などを準備して・・・・出かけた。
●求職カードを作り、建前は「求職したいという」条件で手続きがおわり、1週間後に現在「働いてないという」確認をして、このお宝がいただけるという。
いま何らかの仕事に就いてますと、この一括の失業手当はいただけません。高齢者のみ(65才まで務める)がまとめていただけるわけで、一般の失業者の失業手当はそのつどの月払いで、それと異なります。
これは給料から自分が積んだ雇用保険(失業手当)ですので大手を振ってもらってよい。
1ヶ月の給料の日当分の50日分を給付率に応じていただけます。ちょっとしたお小遣い程度で多くはない。(シメシメ)


●展望台から遠くに東京スカイツリーを確認しました。
写真の赤い部分。狭山茶の畑がひろがる・・・・その奥にうっすらとスカイツリーが見えた。
ここ埼玉の入間の山から見えるんだねえ!驚き。

 
●近場の温泉で「バイキングランチ」。カレーのご飯をおかわりした。
最後のソフトクリーム(自分のオサラに自動で出します。)がおいしかった。
奥方に勧められて岩盤浴というのに初めて入りましたが・・・・苦手。30分が限度だ。

 
●昨晩の三味線との練習会。
おさらい会が近づき、三味線さんがぜひ尺八と合わせたい・・・・「OK」
三味線合奏で「斉太郎節」「王将」を連続演奏するという。
演歌「王将」は河童さん譜面で、予習していったが・・・・短めの伴奏版だ。
 三味線合奏用に「王将」を採譜してみたい。だいたい曲の流れがわかった。
音源を録音したので・・・・これから採譜だ。
 この三味線会の出番曲をプロの最初から、練習。
「ご苦労様でした」「おみやげです」
3名の尺八さんに餅米の赤飯をいただいて、自宅でこれを肴にビールでプッシュ。

●バタやんが逝ってしまった。(田端義男さん死去)。さみしいね・・・・

94才で逝ってしまったねえ・・・・死んだオフクロと同じくらいのお年。恐らく大正8年生まれでしょう、オフクロが大正9年生まれでした。
 バタヤンは極貧の家庭環境でした。小学校の給食の時間、食べる弁当が貧乏で持ってこられない。その時間はそっと外に出て水をのんでいたそうだ。この話しをするときのバタヤン・・・・強烈な印象でした。
ご馳走は紅ショウガで、それもご飯でなくオカラだった。バタヤンのお母さんが亡くなられたとき・・・・棺(ひつぎ)に紅ショウガで花を作って入れたそうだ。
 出征する兵士に向けられた歌「別れ船」は大ヒット。1940というから、私は生まれていない。しかし心にジーンとくる歌。私もギターで奏で出たものだ。
復員兵が大阪に帰ったときに、スピーカで「別れ船」が流れた。「波の背の背に ゆられてゆれて・・・・」バタヤンもそこに居合わせ、多くの復員兵がこの歌を聞いて涙した姿を見たのだという。懸命に生きている人たちへの応援歌・・・・泥臭い飾らない歌手。
「オース!オース!」というバタヤン独特の挨拶・・・・また昭和の星がいなくなった。
後日にお別れの会があるという。相当な数の参列者が来ると思われる。
私もお線香をあげにいきたい・・・・そう思っている。
●追)
バタヤンが唄うときのギターを見たことがありますか?
テレビで見たとき、それはボロボロの傷物のギターでしたね。
新品のきれいなエレキギターではありません。ボロボロでした。
「これは、自分の歴史の分身・・・・離せない」・・・・バタヤン、ご苦労さまでした。

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