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平成の虚無僧一路の日記

見捨てられた被爆者 

2010年08月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


被爆者8人が一斉提訴 「新基準で原爆症認定を」と(共同通信) - goo ニュース

広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させたいと願う天皇と
その側近にとって、本土決戦を主張する「徹底抗戦派」を封じ
込めるためのシナリオだった。

だから、原爆直後は、その被害のすごさをマスコミも報道し
続けたが、終戦一ヶ月も過ぎると、被害報道は禁止されたと
いう。

「今後70年は草木が1本も生えないだろう」との噂を否定し、
アメリカからの調査団が、早々と「放射能の汚染は無くなった」
と発表し、生き残った人も次々と原爆症で死んでいく現実が
伏せられたのである。

マッカーサーは「アメリカは原爆被害者の救援をする必要は
なし」と日本政府に通告し、日本政府は、スイス、ジュネーブ
の国際赤十字からの救援を断ったという。

アメリカは、原爆の被害を他国に知られたくなかった。「原爆が
いかに人道場許せない結果を招いたか」などと、世界にアッピール
されることは、アメリカにとっては、対ソ外交上も不利であった
からだ。

もう一つは、原爆の効果を測るデータは、アメリカだけの極秘に
したかった。生き残った人たちの証言は、「病院に行けといわれて
てっきり治療してもらえるのかと思ったら、全身裸にされて、
じろじろ見られ、被爆した時の場所、爆心地からの距離などを
細々聞かれただけだった。その後も定期的に病院に行かされたが、
その都度、病状の経過を測定するだけで、治療はなにもして
もらえなかった」という。

こうして、治療も受けられず、毎日何人もの人が死んでいった。
もっとも、原爆の治療法など、当時のアメリカでも判らなかった
のだろうが。広島・長崎の被爆者は、原爆症のモルモットにされ
たのだ。

その代償として、天皇の地位は保全され、国体は護持され、
日本はアメリカの統治によって、ある意味では信じられない
ほどの“恩恵”に浴することになった。

そのために広島・長崎だけが見捨てられた。もひとつ沖縄もだ。

さらにつけ加えるならば、731部隊が行った非道な人体実験の
データをアメリカに売ることで、関係者は処分を免れ、のうのうと
戦後を生きた。“丸太”にされた中国、朝鮮の被害者のことも
忘れてはならない。]]>

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