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平成の虚無僧一路の日記

天皇は原爆投下を知っていた? 

2010年08月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



なっている。

実に膨大な資料から、「原爆投下を天皇とごく一部の軍
上層部は知っていた。あくまで徹底抗戦を唱える軍部を
屈服させ、戦争終結にもっていくためには、是が非でも、
広島と長崎には原爆を落さざるを得なかった。それは
天皇も了承されていた。というのだ。

畑俊六は、天皇に最も信頼されていた将軍だった。20年の
4月になって、西日本を統括する第二総軍司令官に任命
されたのも、広島に原爆が落とされることを知っての上
でのことだった。

広島には、軍の参謀本部も知らない、極秘の電波傍受機関が
置かれていた。そこでは、テニアンから航空機への無線、
航空機の中でのパイロットの会話まで、あらゆる情報が
手にはいった。たとえば、ニューディリー放送では、原爆に
関連して、まず昭和20年6月1日、スチムソン委員会が全会
一致で日本に原子爆弾投下を米国大統領に勧告したこと。
次に7月15日、世界で初めての原子爆弾爆発の実験が成功。
さらに8月3日、原子爆弾第1号として8月6日広島に投下する
ことが決定し、投下後どうなるか詳しい予告を3日はもちろん、
4日も5日も毎日続けて朝と昼と晩の3回延べ9回の予告
放送をし、長崎原爆投下も2日前から同様に毎日3回ずつ
原爆投下とその影響などを予告してきていた。

では、原爆投下の時間まで知っていながら、なぜ市民には
知らせなかったのか。さらに、わざわざ8月6日に向けて、
多くの軍人、学徒生を広島に集めている。その日の朝8時
には、西日本一帯の第二総軍の幹部を広島に召集している
のである。

それはすべて、戦争終結のためだった。原爆が最大の効果を
発揮する必要があったからだ。

原爆投下が予告され、一部の人は知っていたという証言が
かなりある。広島近郊で撃墜され、捕虜として広島に連行
された米兵も、捕虜になったことより、「8月6日に広島は
壊滅する。ここにいては確実に死ぬ」と脅えていたという。

広島と長崎への原爆投下は、戦争終結のためのアメリカと
日本国天皇との合意の上でのシナリオだったのだ。
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