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平成の虚無僧一路の日記

国家の犠牲に 

2010年08月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ことを学ぶ一週間だった。

もともと、私は東京なので、東京も空襲で10万人以上が
亡くなっている。それなのに、なぜ、広島・長崎ばかりが
という思いはあった。原爆投下に携わったアメリカ人たち
も「東京空襲は非難されずに、なんで俺たちばかりが
責められるのか」と開き直っている。

一連の原爆関連の記事を見て思うのは、東京空襲で
日本はもう壊滅していた。しかし、アメリカは、科学者
等が原爆の実験をしたがっていた。ソ連に対抗して
原爆をいち早く完成させたことを誇示する必要もあった。

一方日本では、「本土決戦を主張する抗戦派」を封じ
込める爆弾が必要だった。日本とアメリカの双方の
思惑が合致した。日本国家にとっては原爆は“必要悪”
だった。広島・長崎市民にとっては、この上ない迷惑。
国の犠牲にされたことへの怨嗟の念は、想像に絶する。
しかし、その声すら国家によって消された。「私たちは
アメリカを恨んではいません」。「原爆は二度と繰り
返しません」などという言葉に、強く反発する声もある。


江戸幕府は無血開城し、明治新政府の世となったことは、
日本にとっては良かったのだろうが、そのため会津は
生贄とされた。新政府の力を誇示する必要があったからだ。

広島・長崎もその構図に似ている。会津人は、「終戦で
明治以来の薩長閥の政府が滅びた」と喜んだものである。



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