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じいやんの日記

別れを惜しむ 

2013年03月31日 ナビトモブログ記事
テーマ:日記

「別れを惜しむ」と書くと同年代の訃報に涙ぐむ場合が少し増えてきた感じがする。
本当は直接面識にない有名人や・芸能人の訃報に驚く事が多い。
今日のテーマは、その意味での言葉のつもりではない。
小学校から中学・高校等進学するたびに別れを惜しんだ記憶がよみがえる。
自宅から通学するのでそんなに距離が離れる事がないが何故か別の世界に入って、疎遠になる。
友との別れがつらく感じるのだが、すぐに新しい友達が出来ていつの間にか忘れ去る。
親友と言えるほどに仲良くはなっていないのでしょう。
親友と勝手に思っていても確かめる手段も方法もなく、一方的に思い込むのが普通だろう。
還暦を過ぎて友人と言える人が少なくなってきた。
会社を退職してからは特にそのように感じる。
出稼ぎ?で出身地から転居する事が5回を超えると出身地がどれほどの意味を持つか判らなくなる。
当然、友人とも離れ離れになって疎遠になる。
年賀状だけの付き合いは、もう友人ではなくなるのかな?
別れを惜しむような友人は自分から作っていかないと今後は期待できない。
別れを惜しむような人を作りたいものだ。
訃報ではなく食事をした後でも別れがたい感じが懐かしい。
勝手に友人と言えるような人を指をおって数えてみよう!
せめて両手になることを期待して。



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友人

さん

友人を自分から作っていく必要はあるのでしょうが、結局、友人ってなんなんでしょうね。
お釈迦様は、孤独を友としなさい、親しい友人は一人いればいい、いない方が返って良いとも言っていますよね。愛情でさえ執着であり、手放しなさいとも言う。

一方的に相手のために何かしようとする姿勢が大切で、相手を支配しようとしたり、相手に依存したり、相手と競争したり、相手から何かを得ようとしたりしては決していけないと言う。

それでは寂しいではないかというのであれば、それは単に自分が弱い性だ。だから、それを乗り越えなさいという。

人生は厳しいものだなあと思いながら、最近は、それが真理であり、お釈迦様の言う通り、どんなにあがいても逃げ道はなく、結局、受容するしかないんだとつくづく思い知らされることが多いですね。

実は全てのこだわりを越えた所に真の友はいて、友とは常に一期一会である。

だから、いずれみんな死んで別れねばならないと言うこの人生の厳しさが共有できる相手なのであれば、みんな親友(人生の戦友)と言えるのではないかなあなんて勝手に思ってます。

2013/04/01 00:41:03

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