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たゆたえど、沈まず

伊勢湾水連学校 

2013年03月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

漢方医の診察を受けるために三重県の四日市まで通っている。
四日市に入ると四日市喘息で有名になった石油化学工業地帯があるが、昔は海水浴場がたくさんあった。
工業地帯を走っていると富須原という地名が出てくるが、富須原の海水浴場に伊勢湾水練学校というのがあった。
といっても校舎も何もない、夏休みの時期に毎年開校され、毎日砂浜に集まりパンツ一丁になって海岸で泳ぎを覚える学校である。
試験が6級から一級まであり、6級から4級までは白い帽子に黒線が増え、3級から1級は黒い帽子に白線が入る。
私は小学校の4年か5年生の時にこの学校に入った。
昭和30年ごろである。
泳ぎは近所のプールで覚えて得意だったから毎日昇級試験にチャレンジして帽子の線を増やしていった。
2級まで行った時に一級を受ける申し込みをしたら、人命救助の科目があり、お前は小さすぎて無理だからやめろと言われ断念をした。
白い帽子に黒の二本線が二級である。3級以上には小学生は私一人しかいなかった。
真っ黒に日焼けして赤い6尺褌に白い帽子に黒い線は学校の中では肩で風切るエリートだった。
私はそのエリートの中学生の中にただ一人チビの小学生として入ったのである。
卒業式は水泳大会で、名古屋の振甫プールで行われた。
このプールは当時名古屋で唯一の競技用プールで、50mの競技用プールと高さ10mの競技用飛び込み台を備えていた。
各級毎に決められた種目を泳いで着順を決め表彰してもらう。
私は2級の組に出場、生まれて初めて競泳用プールのスタート台にマイクで呼ばれ手をあげて乗った。
100m自由形だったと思う。
頭真っ白状態で合図と共に飛び込み、無我夢中で泳いだ。
ゴールしたらその組の2着であった。
大きな画板を賞品にもらい、たくさんの人たちに良くやったと褒められて頭を撫でられた。
小学校時代の一夏の思い出である。

    鈴鹿の連峰背に眺め
    富須の磯に集いつつ
    水泳練磨の健児らは
    のしてたてる伊勢水連

    いざいざ進めいざ進め
    伊勢水連健男児
    海国日本のそのために
     進めや励めやもろともに
     フレーフレー伊勢湾
     フレーフレー伊勢湾!!

当時の校歌、私の青春の幕開け、虚弱児がだんだん丈夫になり、勉強なんか糞食らえの男の子に育っていった。(笑)

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