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たゆたえど、沈まず
勘三郎さんの死に思う
2012年12月08日
テーマ:テーマ無し
中村勘三郎さんが亡くなった。57歳、早すぎる最期である。
食道ガンの手術が7月27日、4ヶ月ちょっと前のことで、手術の直前に息子たちに激励され一緒にゴルフをやるほど元気であった。
勘三郎さんの病気についてネットで専門医のコメントなどを合わせて情報を集めてみると、12時間に及ぶ開胸手術は体への負担があまりにも大きく、免疫力が低下した状態で、肺炎をこじらせ肺水腫を併発し更に悪化してARDS(急性呼吸促迫症候群)を発症し死に至った。
簡単にいえば、重篤な急性呼吸不全で、酸素マスクや人工呼吸器、流動食といった言葉が書かれていた。
この肺疾患のため更に高度な医療を受けるために二度も転院したと言う。
病床で勘三郎さんはどんな気持ちで毎日を過ごしたのかを思う。
元気で復帰するつもりで闘志満々だったはずである。
サザンの桑田佳祐のように見事に舞台に復帰して活躍するつもりで入院したに違いない。
なぜこんな事態に至ったかの元をたどれば、手術をしたことに行き着く。
手術をしていなければ、今頃は舞台復帰は無理としても食道がんを抱かえながらも家族と笑って過ごす体力はあったに違いない。
もっと長生きできたに違いない。
私はこのニュースに接して、テレビの人気番組だった平成教育委員会の逸見正孝さんがガンで亡くなられたニュースを思い出す。
お二人とも仕事で無理を重ねた末の大手術とあっという間の旅立ちの印象が強いのですが、もっと他の最善の方法があったのではないか?
勘三郎さんのニュースを、同じ肺疾患を持つ身として考えてみると決して他人ごとではなく、いつ自分の身に起きてもおかしくない出来事のように思う。
こう言ったニュースや身近な人たちの死を見つめてみると、西洋医学に一辺倒の日本の近代医療に全面的に頼った立ち向かい方は、何か片手落ちで到底できなくなります。
病気との向き合い方、家族のあり方など、これらの実情を踏まえて予め自分なりの対処を調べ、考えて生活する必要があると思います。
元ニュースキャスターの黒岩祐治さんがお父様のことを綴った著書「末期ガンなのにステーキを食べ、苦しまずに逝った父」を読んでみると、抗がん剤の副作用に苦しむ余命二ヶ月のお父様を自宅に引き取り、数年を自宅で楽しく過ごし84歳の誕生日には好物のステーキを食べ、お酒も飲んで祝ったそうです。
人間は80歳を過ぎても肉体自身が元に戻ろうとする恒常性は凄いものがあると思います。
68歳の私の体が持つ恒常性はもっと凄いと信じている私です。
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