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退屈な話
あっぱれ母さん
2012年08月29日
テーマ:テーマ無し
昭和9年生まれの母は、高校卒業後デパートに勤め、お見合いで結婚した。
36歳の時に、私の父、つまり彼女の夫が亡くなり、以来女手一つで私と弟を育ててくれた。
特に外で働いたわけでもなく、我が家の二階をアパートに改造し、彼女はほとんど専業主婦のようにして育ててくれたので、贅沢こそできなかったが、私たちは特に寂しい思いをしたことがなかった。
私たちの幼稚園のPTA役員に始まり、学校のPTA、地域の消費者運動や町会、そして民生委員と、ほとんどボランティアの人生である。なかなかの活動家で、あの才能をお金儲けに使ってくれたら、きっと贅沢な生活ができたのになぁ(笑)、と子供心に思ったこともある。
およそ30年勤めた民生委員を引退し、現在は更生保護女性会で活動している。
傍から見ても、かなり忙しそうだった民生委員活動の毎日から離れ、今は比較的ゆとりある生活、「ボケたらどうしよう」の心配をよそに、天声人語の書き写し、数独、ジグソーパズル、韓流ドラマ、そして近頃は海外のミステリードラマにハマっているようだ。
いやはや、なんともあっぱれな先輩シニアである。
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ありがとうございます!
渓さん、ありがとうございます。あの世代は元気です。何気なく、人生を充実させる事に貪欲です。何気なくというところが、我々が太刀打ち出来ないポイントです。我々も頑張りましょう!
2012/10/10 02:31:49
素晴らしい
長年渡る地域活動の実績。
そして、現在は、天声人語の書き写し、数独、ジグソーパズル、韓流ドラマ、そして近頃は海外のミステリードラマ。。。
なかなか真似することもできません。
素晴らしいの言葉につきます!
2012/10/10 01:22:38