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たゆたえど、沈まず

オリンピック 

2012年08月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

毎日オリンピックで日本選手の活躍を胸を熱くしてテレビにかじりついて観ている。
いつも思うことだが、もし自分の子供が選手であったら、ハラハラしてとても我が子の活躍なんて観ていられないと思う。
仏壇の前で手を合わせ、失敗せずに無事に終えてくれるようご先祖様に只々祈る、そんなことしかできない無様な親だと思う。
如何に身体能力があっても、その場に立てば足が竦んで身動きできなくなるだろう。凄い子たちだ。
かって、ロサンジェルスオリンピックの時、陸上男子の短距離で200mと400m決勝を観ていて黒人選手が、美しいフォームで素晴らしいスピードで走る姿に感動して、当時の奥さんに「おい、観ろ! 凄いよ、素晴らしいよ」と熱くなって叫んだ。
テレビでそれを観た彼女はニッコリ笑ってこう言った「何だか首から上は全然使っていないみたい」
スポーツとは全く縁のない家庭で育ち、自身も全くスポーツと縁のない勉学一筋の人だった。
彼女から見ると、走っているのは首から下しか使わないただの野蛮人で、野蛮の極みが金メダリストなのである。
教養の極みがノーベル賞、野蛮の極みが金メタルとでも言いたげであった
スポーツの体験がないとこんなものかとその時思った。


そのあと女子マラソンがあり、忘れもしない、スイスのアンデルセンという選手が足を引きずりながらトラックに帰ってきた。
熱中症だったらしく下血してトランクスを血に染め頑張る姿にスタンドは驚き大声援を送った。そしてついにゴール!
大きな感動はスタンドの観衆のみならず、テレビを見ている世界中の人が感動した・・・・・・・、と思った。
胸を熱くして感動している私の後ろから声が飛んだ。
「やめるべきよッ!  やめさせるべきよッ!」
背中からバケツでいきなり水をぶっかけられた気持ちであった。
ゾッとする冷たい声に聞こえた。
あのシーンに感動しない人がいることに信じられない気持ちだった。
しかも一つ屋根の下に住んでいる最も身近な人間である。


人生が順風の時は単なる性格の違い程度のことで大した問題も起こらないが、試練の時も訪れる。
そんな時に、捉え方の違いや対処の仕方の違いが顕著に現れる。
人生のピンチの時は立ち止まって争っている暇はないのである。
降りかかるピンチは待ったなしだから。
お互いに背中を見せながら、それぞれの考える対処法で全力で立ち向かうより方法がなかった。


オリンピックの度に陸上の短距離と女子マラソンのことを思い出す。
そして、相変わらずテレビの前で声援を送り、寝不足になり心を熱くして興奮する。
違うのは女房と二人で熱くなっていることだ。
競技そのものがドラマ、観ている私たちも人生のドラマの一コマである。
人生のドラマって面白くて興味が尽きないものですね。

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