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たゆたえど、沈まず
相棒から女房へ
2012年08月06日
テーマ:テーマ無し
女房のことを以前は相棒と表現していた。
杉下右京よりずっと前から相棒という言葉を使っていた。
あの人気番組にあやかって使い始めたわけではない。
10年以上前に、お互いを人生の相棒と決めた時からである。
何故そう決めたかというと、縁としか言いようがない。
私の座右の銘は
人は 一生のうち 逢うべき人には 必ず逢える
しかも 一瞬早過ぎず 遅過ぎない時に
という、森 信三氏の著書の中で見つけた一文である。
自分がトコトン孤立無援のだと感じた時期に出会った一文であり、それ以来私の人生の指針である。
おかげで、友人知人に恵まれた現在であるが、出会いの縁を粗末にしないよう心がけてきた結果と言えそうだ。
特に、 一瞬早過ぎず遅過ぎない時に という言葉の中に深い深い味があり、宇宙の法則そのものだと思う。
出会いは必然ということだ。
そして、身の回りに起きる出来事も人がもたらすことだから、やはり必然と思う方が後から納得がいく。
私は人脈という言葉があまり好きになれない。
何となく損得が介在する作為に満ちた間柄のように思える。
人の脈ではなく、人の縁だと思う。
損得抜きの人の縁こそが、異なもの味なもの、不思議な味わいのある人生を作るように思う。
私が相棒と出会ったのも縁であり、人生の相棒と決めたのも縁を感じたからである。
そして、縁あって絶妙のタイミングで相棒は女房になった。
作為は何もない、ただ柿の実が熟してポトリと落ちるように、時期がきて自然に相棒となり、相棒が女房になった。
だから、そのことが神様の仕業であり、神様から派遣されてきたように思うのであるが、それにしても女というものは怖いものだ。
山の神とはこういうことであったかと今頃になってやっと分かった。
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