メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

「龍頭切断してより後」「有漏路より無漏路」 

2012年07月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



一休の偈(げ)に『龍頭切断してより後、尺八寸中古今に通ず』と
いうのがあります。一休の詩偈は実に難解で、まさに“謎解き”
です。

まず「龍頭」は「りょうとう」と読んで「両頭」です。竹の
両頭を切断して作った「尺八」によって、古今東西の真理が
見えると私は解釈しました。「両頭切断」とは、相反する
価値観、金持ちと貧乏、右翼と左翼、明と暗の片一方に
偏するな、つまり「中道をゆく」。一休とんち話の『この橋
渡るべからず』だったのです。

まさに私の「尺八遍歴」は「両頭切断」でした。

尺八を習う上で、まず流派の問題があります。
「都山流」か「琴古流」か。そして、吹く曲が「古典か現代曲か。
5孔か多孔か」の二極対立の中で、自分の立ち位置をどこに
置くのか。

また、尺八には、尺八は高価(30万〜300万円)ですから、
「金持ち旦那衆の道楽」か、虚無僧は門付けしますから
「乞食」、の 全く相反するイメージがあります。

そして「虚無僧は“聖”なのか“俗”なのか」。「明にも暗にも
こだわらない生き方とは」。そんな風に、二律背反する考えの
中で、右に行ったり 左に行ったり、振り子のように、揺れ
動く半生でした。

まさに、一休の云う、
「有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)に出でて一休み
   雨降らば降れ、風吹かば吹け」です。

「人は悩みのある世界(有漏路)から、悟った気持ち(無漏路)になり、
悟ったかなと思っていても、また悩みが生ずる、悩んだり、
悟ったり、行ったり来たり。もう“ウロウロ”するのはやめにして、
“一休み”しよう。

もう、雨が降っても、風が吹いても、うろたえたり、悩み苦しむ
ことなんか無いぞ」というのが一休の悟りでした。私ももう
そろそろ・・・・・です。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ