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平成の虚無僧一路の日記

色も情緒もある「古典」 

2012年07月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昭和51年、私は和歌山に転勤になり、さらに 53年から57年までは
福島勤務で、57年に東京本社に戻りました。その間7年間ブランク
でしたが、和歌山では都山流の「池田晴山」氏に師事し、福島では
琴古流や箏の先生方とのさまざまな出会いがありました。
そして、東京本社広報部に13年勤務することになります。

東京に戻って、また堀井小二朗師のもとを訪ねますと、師は
琴古流の「広門伶風」、都古流の「磯野茶山」とともに「三昧会」
なるものを結成し、毎年、地唄の著名な先生方を招いて「古曲」の
演奏会を開催していました。

「現代音楽」の草分けだった堀井小二朗師が「古曲」とは意外
でしたが、師の「古曲」は 実に表現豊かで、味わい深いもの
でした。

それまで、「古曲」というと、「盲人の作曲だから、色も形も
景色も無い世界、悟りきった境地で演奏するもので、味をつけ
てはいけない」などとされ、情緒もない吹き方でした。
これでは、どの曲も全く同じにしか聞こえません。それが邦楽が
飽きられる所以でしょう。そこに「堀井小二朗」師は改革の
メスをいれたのです。同じ「ツレー」でも、『楫枕』なら
「苦界に沈められた遊女が、艫綱(ともづな)を切って、楫で
舟を漕ぎ出すように重く」とか、『残月』は「若い娘を失った
悲しみ」を、鋭く冴え渡った音で、『新娘道成寺』なら華やかに、
『夕顔』は「儚く」と、曲のイメージを膨らますものでした。

こうして、音に表情をつけてみると、「古曲」も活き活きと
現代に蘇ってきます。「古曲」が実に楽しいものとなりました。
師の最後の舞台演奏は『鳥辺山』でした。死出の旅路に向かう
道行の曲です。亡くなる1ヶ月前、病院を抜け出しての
演奏でした。息も絶え絶えの演奏でしたが、それが、死に
向かう男女の道行の情景に見事にはまって、もう涙が止まりま
せんでした。「真の芸術とは テクニックではない」ということが、
師の遺言のように感じられたのでした。

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