メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

福沢楡吉の孫「堀井小二朗」 

2012年07月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昭和40年代に「日本音楽集団」や「尺八三本会」が
邦楽界の最先端を行き、それを学生達が熱烈支持
したのは、安保反対の学生運動と無関係では
ありませんでした。私は“右寄り”ではありましたが、
因習的な邦楽界、家元制度への反発もありました。

「堀井小二朗」師は「福沢諭吉」の次男「捨次郎」の
妾腹の子でしたが、「福沢楡吉」の孫たちの中で
一番「福沢諭吉」に 顔が似ていました。「福沢楡吉」が
「封建制度は親の仇でござる」といい、西洋の文物を
日本に紹介し、因習を否定し、啓蒙を図ったように、
「堀井小二朗」師は、邦楽界の改革を行った人でした。

まず、「音程もリズムもデタラメな尺八界」をなんとか
しなければと、尺八の楽器としての改良を目ざしました。
チューナーなど無い時代ですから、製管師の耳だけが
頼りで、音律など合わない尺八がほとんどでした。

箏の会などに尺八家が伴奏で呼ばれていきますが、
所詮尺八家は“素人の旦那衆”ですから、“先生、先生”と
チヤホヤされますが、大見栄きって「御祝」を持参して
出させていただく立場でした。堀井師は「私は“音楽家”
ですから、演奏で食べていますので」と、ギャラを
要求したのです。すると筝曲界では「なんてお金に
汚い人だ」という噂が広まり、三曲界からも干されて
しまったのです。

堀井師が「尺八演奏家ですから演奏料をください」と
云ってくれたおかげで、今日の尺八家が「演奏料」を
いただけるようになったのです。

私も、ある箏の会から「3万円でいいですか」と
いわれて、てっきりギヤラだと思ってOKしたら、
当日「出演料(会費)」として3万円を請求され、
真っ青になったことがありました。そんな時代
だったのです。

堀井師は「家元制度」と「免状制度」も否定して
いました。年数だけで、調弦もロクにできない、
歌も歌えない人が、箏の師範免状をもらっている
のはおかしい。洋楽の世界にはそんなものは無いと
いうのです。

ですから、私も、学生の頃は「家元制度 粉砕」を
叫んでいました。今、この歳になると「家元制度は
邦楽家の老後の生活ために必要なもの」との理解を
示しています。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ