メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

昭和40年前半の尺八ブーム 

2012年07月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昭和39年(1964)の東京オリンピックを機に、日本的なものが
見直されるようになり、邦楽の合奏団ができたり、和楽器の
為の曲が次々と作曲されるようになりました。

1963年 「村岡実、横山勝也、宮田耕八朗」の3人で「東京
尺八三重奏団」が結成され、翌 1964年には「日本音楽集団」に
成長し、また「山本邦山、横山勝也、青木鈴慕」の3人が
「尺八三本会」を立ち上げました。

同年NHK・FMラジオでは「現代の日本音楽」という番組が
始まり、新進作曲家の作品が次々と発表され、箏・尺八ブームが
起きたるです。

この年、NHKの委嘱で「堀井小二朗・山川直春」の共作で
『竹の響き』が作られ、指揮は「杵屋正邦」、尺八は「東京
尺八三重奏団」の「村岡実、横山勝也、宮田耕八朗」に
青木静夫(現「鈴慕」)が加わり、箏、太鼓にコーラスも
はいる大編成でした。この曲は、虚無僧本曲の『虚鈴』
『神保三谷』『滝落ちの曲』を現代風にアレンジしたもので、
その中で、横山勝也が「海童道」の「道曲」の手を披露し、
尺八のイメージを一変させたのでした。

これに続いて「武満徹」が「横山勝也」を起用して、映画
『怪談』(1964年)、NHK大河ドラマ『源義経』(1966年)の
テーマ曲、さらに『エクリプス』を作曲。1967年、ニューヨーク
フィルでの 小澤征爾指揮で『ノヴェンバー・ステップス』
公演にへとつながつていくのです。

尺八といえば、虚無僧尺八か民謡のように思っていた私も、
堀井小二朗師によって、全く知らない世界に引っ張りこまれ、
毎日が新鮮で驚きの連続でした。堀井小二朗師の元には
「坂田誠山」「宮田耕八朗」も 時折 来ておりましたし、
「日本音楽集団」や「三本会」の公演は一回目から欠かさず
観に行きました。一番前の席で、舞台にかぶりつきで観た
ものです。

「尺八三本会」は、琴古流の青木静夫、都山流の山本邦山、
そして「海童道」の横山勝也というまったく流派の異なる
3人です。当時の尺八界は、他流派と同じ舞台に上がったら
“破門だ”というようなことが公言されていた時代です。

邦楽を「五線譜」で演奏するのもとんでもない。デリケートな
和楽器の奏法は「五線譜」なんかでは表せないなどとも
云われていたのです。

多くの尺八家は、「音楽集団」や「三本会」の活動には
目をそらしていました。観客の多くは、我々学生でした。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ