メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

私の尺八遍歴 12 「虚無僧の旅を終えて」 

2012年07月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昭和43年、大学2年、19歳の時の虚無僧の旅は、
私の人生を変えました。旅では「人生 楽あれば、
苦あり」「人間万事塞翁が馬」。「苦心の後には
楽しみあり」と、災難も苦労もひと時のもの、
いずれ良くなる、なんとかなる。平気平気という
「気楽」な心になりました。

それまでの私は、ほんとうに「ネクラ」でした。
悩み多く、いつも「死にたい、死にたい」と
思ってましたから、虚無僧の旅は「のたれ死に」する
つもりだったのですが、たくさんの人の親切に
“生かされて”、死ぬに死ねないということを
実感しました。

極めつけは、山室の叔父であります。私の尺八の師
ですが、耳鼻咽喉科の医師でした。

「死のうと思って、虚無僧に出たのに、まだ死ねない」と
いいますと、「そんなに 死にたいか、死にたきゃ
やるよ」と「青酸カリ」と書いた茶色の小瓶を
出してきました。これには私もビックリ。

そう、たやすく「死にたい」なんて云うものではないと
悟ったのです。後で判ったのですが、「青酸カリ」は
空気に長く触れていると、毒性が無くなるようです。
叔父は、「どうせ死ぬ勇気などない」と見越しての
処方箋だったのです。

山室の叔父は、時の総理大臣「池田隼人」の舌癌を
指摘し、「日本の名医」にも名が載った人でした。
「風邪」で通院してこられた患者さんの多くには、
「なんだ、こんなことで、来(く)っことあっか。
家さ帰って寝とれば 治っから」の一言で、患者も
元気になって帰っていくのです。

逆に、薬を出してもらえれば、注射をしてもらえれば、
満足するという患者さんには、そのように処方するの
です。患者さん一人ひとりに合わせた処方、これこそ
「医は仁術」の名医だと思います。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ