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平成の虚無僧一路の日記

私の尺八遍歴 12 「鳥居峠」」 

2012年07月10日 外部ブログ記事
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昭和42年当時、国道49号線といえどもまだ舗装されて
いない場所もありました。車の往来も少なく、時折
トラックが濛々と土煙を挙げて通りすぎるなか、
トボトボと虚無僧がゆく。当時は、ヒッチハイクを
していると、通りかかった車が「どちらまで?、
どうぞ、乗っていきませんか」と声をかけてくれた
ものですが、「虚無僧」には、ドライバーは「ギョッ」
として、戸惑った顔で通り過ぎていきます。誰も
声をかけては くれませんでした。

夕暮れ時、通りかかりの人が、「虚無僧さん、あの
山の向こうにお寺があっから、そこサ行けば、
泊めてくれっかもしんねぇぞい」と、親切に教えて
くれました。すぐ近くかと思ったら、行けども
行けどもありません。山を越え、山を越え、ようやく
夜8時頃、灯りを見つけ、近づいてみると、教えられた
お寺でした。やれやれと、「旅の者ですが、一晩・・・・」と
お願いすると「ウチはそんなことしてません」と、
ピシャリと戸を締められてしまいました。

そう、期待していくと、断られるものです。そんな経験は
何度もありました。その晩は、山の中で野宿。
天蓋に手甲・脚絆は、やぶ蚊対策に実に便利です。

とはいっても一晩眠れず、夜明けとともに歩きだして、
山の中をどこをどう歩いたものか、山奥の急な斜面の
上に、一軒の農家を見つけました。こんな山奥の
傾斜地にまで人が住んでいるということに驚きます。

農家の人は、朝が早い。もうノラ仕事に出かけて
いるようで、人の気配がない。そこで、一曲尺八を
吹いていると、斜面の下から、駆け上ってくるお婆さん
の姿が見えました。その方は、裏から家の中に入って
いったので「厠」でも行かれたかと思っていましたら、
お盆の上にお米を1合ほど乗せて、丁寧に持って
こられました。

その時、私は思いました。虚無僧とはいっても、
しょせん自分は 学生のお遊び。こんな山奥に住み、
夏の炎天下、急斜面の田畑で、汗水たらして働いて
えた貴重なお米をいただくのは申し訳ないと。

「ただ尺八が好きで、遊び心で虚無僧をやるのは
けしからん」と、自分が恥ずかしくなり、そこで
虚無僧を止めたのでした。

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