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平成の虚無僧一路の日記

私の尺八遍歴 1 (始めた動機) 

2012年07月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



都山、琴古、明暗諸流諸会派ある中で、私の師匠は
実にたくさんいます。最初に手ほどきを受けたのは、
私の母方の二人の叔父からでした。一人は会津若松、
一人は千葉に住んでいました。

戦後、剣道、柔道、尺八といった“日本精神”を鼓舞
するものが、すべて否定され、ジャズやロカビリーなど
アメリカナイズ一辺倒の時代がありました。

私の母方の叔父兄弟も、戦前の学生時代、尺八を
たしなんでいましたが、戦後は、尺八は 押入れの
中にしまわれていました。私が10歳の時、会津若松の
叔父の家に遊びに行って、押入れの中から尺八を
見つけたのが、尺八を始めたきっかけです。

それ以前、5歳ぐらいの時、家の外で遊んでいると、
虚無僧がやってきて、私の家の前で尺八を吹く姿に、
ビビッとくるものがあり、その時から虚無僧には
憧れていたのです。

また、小学校2年の時、時の校長(篠原)先生が、
朝礼で、尺八を吹いて聞かせてくれたことが
ありました。
戦後のベビーブームに生まれた私たちでしたから、
1学年1クラス50人で6クラス、全校生徒
1,300人です。それが 校庭一杯にならび、
マイク設備も貧弱な時代ですから、その音は、
聞こえていたのか記憶はありませんが、実は、
その校長先生は、顔色は悪く(茶色)、黒い
サングラスをかけ、目も不自由のようで、
それからまもなく亡くなられました。葬儀に
参列したのを覚えています。その時、子供心に、
校長先生は、私たちに、尺八を通して、何かを
伝えたかったのだろう、と思いました。

そんな体験があったので、かくれんぼごっこを
して、押入れの中にはいり、尺八を見つけた時は
小躍りしたのでした。

大人たちに見せると、一様に「尺八はむずかしい」と
言います。「大人たちができないなら、やってみよう」と、
その尺八を借りてきたのが、尺八を始めたきっかけ
です。

その前に、私は音楽が全くダメで、音楽に対する
コンプレックスがありました。洋楽に対する
反発意識が、ノーリズム、ノーメロディの尺八に
私を駆り立てたともいえます。

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