メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

私の尺八遍歴 2 「少年時代」 

2012年07月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



さて、尺八を借りてはきたものの、ウンともスンとも
鳴りません。なにせ独学、自己流ですから。
10歳といえば、小学校5年。昭和33年でした。

そう、10歳から始めたとはいっても、2年間は
音が出ませんでした。「尺八は“首振り3年”と
云って、3年たたなきゃ音が出ない」なんていう
大人の言葉を真に受けていたのでした。

中学にはいった昭和35年頃から、アメリカナイズの
反動で、“国粋主義”“ナショナリズム”が台頭
してきて、尺八も見直されつつあり、会津若松の
叔父も、「尺八を始めたいから」というので、
ひとまず尺八を返しました。その時には「ププ」
ぐらいの音は出、それだけでも大人たちは、
びっくりし、「すごい!」と誉めてくれるので、
得意になったものでした。
音がでるだけで「すごい!」と云ってもらえる。
こんなカンタンな楽器は他にありません。

その中学(慶応中等部)の同級生に竹内君という
変わり者がいて、長唄の家元の血筋だといい、
三味線や笛、能管を吹くというので、対抗意識で
私の尺八熱にも火がつきました。

といっても、手元に尺八は無く、親に「買って」と
ねだると、「乞食の真似するのか」と怒られ、
さんざん探して、日本橋三越で売っているとの
情報で、親に内緒で、小遣いで最低の値段の
練習管を 1,800円で買い求めたのでした。
今の価値観でいうと1万円ほどでしょうか。

しばらく、それを使っていましたが、それは
音律も でたらめ な ひどいものでした。
そんなものでいくら練習しても、曲になりません。
やがて「ピープー」と音が鳴り出すと、父母は
「うるさい、やかましい、やめろ」と言います。

押入れの中で布団を被ったり、夜中に公園まで
行って練習したものでした。ここまで独習なのです。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ