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たゆたえど、沈まず
進行したのかな?
2012年06月23日
テーマ:テーマ無し
昨日は朝起きた時から動くとすぐに息切れだった。
いつものように新聞配達をやったが、息切れする身体を引きずりながら終わった。
このままの状態が日常の状態になるとしたら新聞配達はもう限界である。
何とか持ちこたえて少しでも体調が戻って欲しいと思う。
たかが一時間ちょっとの軽作業だが、その日のスタートの体調を予感するにはとても良い。
動かなければ衰えるので、加圧にも出かけ、いつもの半分以下のメニューをこなした。
帰りに酸素バーに寄って30分酸素を吸ったが、はじめも終わりも酸素濃度が95%で大ショック。
誤差のある簡単な測定器だから、この数値を鵜呑みにして振り回される訳ではないが、、体がしんどい筈である。
女房が帰宅して、完全にノビてる私を見ながら「もう私がいないと生きていけないねぇ」と言う。
「バカヤロー、増長したら叩き出すからな」と言いたいところを我慢する
「ま、最後まで見捨てることはしないから安心しな」と言われてしまった。
亭主の威厳もへったくれもあったもんじゃない。
夫婦の漫才も、だんだん現実味を帯びてくると、逆転ホームランを打てる4番バッターではなさそうだ。
さて、どうやって立ち向かうか名案が浮かぶわけでもなく、その日その日に思いつくベストだと思う選択をやりながら、その内なんとかなるだろうと、いつも楽観的に笑って済ませるのが我が家である。
思うに、COPDという病気は西洋医学には向かない病だと思う。
どんなことでも、向き不向きというのはあるに違いないが、COPDの究極の治療が肺移植に行き着くわけだから、部品の交換以外に打つ手がないということだ。
先日も、ある医師と話をする機会があった。
彼は、脳外科医だが代替医療に詳しく、著書もあり講演も良くされる医師である。
私がCOPDについて意見を求めたところ、間髪をいれず「あの病気は治りませんから・・」という言葉で話が始まった。
不可能ですかとの問いに、間髪をいれず「不可能ですね」と答えられた。
ほとんどの医師は同じ答えだと思う。
この答えは、医者の不親切で、枕言葉が不足している。
それは「今の医学では」と言う前提となる言葉が足りない。
治らないとか不可能だとかいう言葉を絶対の言葉として使うことができるのは、全知全能の神様だけだと思う。
この枕言葉に気付かないために医師の言葉を全知全能の神の断定のように誤解してしまう。
その言葉を鵜呑みにし、全面否定を前提にした人生の展開は暗いものになりがちである。
西洋医学に限界を感じている医師はたくさんいる。
限界突破のために、東洋医学に目を向け、代替治療に目を向けて治癒の実績を広げておられる医師もたくさんいる。
医師だって心ある良心的な医師は、自分の専門の間口を広げて勉強をしているんだから、患者である我々も間口を広げて病気に立ち向かうべきである。
病気になることで人は色々なことを真剣に考えるきっかけになり色々なことに気付く。
人生の必然としてこの機会は訪れるように思う。
病になることも縁なのだ。
縁というものは不思議である。
考えれば考えるほど不思議で味わいのあるものだと今にして分かる。
やっと分かりかけてきたと言うべきか。
家族も含め、周りにいてくれる人たちも縁であるし、周りに起こっている出来事も縁であり、そのタイミングも縁ならではの絶妙さがある。
いろいろ考えると楽しくなってくる。
人生のパズル解きは楽しい。
解けないと思っていたパズルが解けそうに思えてくると、その先の答えは多分「人生というものは楽しいんだよ」というところに行き着くような気がする。
その答えに行き着くための出会いの一つがCOPDとの出会い、COPDとの縁なんだと思うと、このパズル解きはなかなか楽しいような気がする。
さて、今日も支えてくれる人たちに感謝をしながら、そのパズル解きに向かって頑張るとしよう!
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