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たゆたえど、沈まず
尊厳死
2012年06月07日
テーマ:テーマ無し
昨日から女房殿が実家に帰り、久しぶりの一人の時間である。
これで、一人で外出できる行動範囲が増えていけばもう大丈夫。
心配させていた知人から、肉でも食べて力つけようとお誘いがあり、ありがたくお受けした。
来週はステーキが食べれそうだ。
すぐに脱線をする何とも幸せな男である。
COPDになってから、増悪の先に死というものがあり得るということから、色々な身辺整理を少しずつやり始めたが、その中の一つで、尊厳死の宣言をしておく手続きをとった。
死期を引き延ばすだけの延命措置のお断り
ただしこの場合の、苦痛を和らげるための十分な緩和措置のお願い。
持続的植物状態に陥った時の生命維持装置を取りやめること。
概略こんな内容だが、尊厳死の宣言書として作成、登録し、身近な家族に渡し、携帯する。
女房と一緒にこの宣言書作成の手続きをとった。
私は、かって母が「畳の上で死にたい」と言ったが、その望みを叶えることは大変ではあったが、母が残してくれたものも我々が体験したことも、素晴らしい得難い経験であった。
私のような昔人間には、「畳の上で死にたい」という言葉があればそれで十分だが、いまmの時代はそうはいかない。
母は88歳で老衰であったが、父祥月命日にささやかな法要を終えたあと、まるで父が迎えにきたかのように旅立っていった。
私と女房が両側から手を握り、その旅立ちを見送った。
尊厳ある死を迎えさせたいの一心で我々夫婦がやったことは、こんな形で終わりを迎えた。
検死に来た医師は往診して注射を打っていれば、旅立ちが一日伸びるかも知れなかったが、お父様と一緒に天国にいけなかっただろうなぁと言われた。
わたしも女房も爽やかな旅立ちがしたいものだと思う。
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