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平成の虚無僧一路の日記

福沢諭吉の「脱亜論」 

2012年04月23日 外部ブログ記事
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『脱亜論(だつあろん)』とは、1885年(明治18年)『時事新報』に
掲載された「社説」。「無署名」だったが、「福沢諭吉」の寄稿とされ、
近年になって、「福澤諭吉は 朝鮮と中国を蔑視し、侵略、植民地化を
肯定した人種差別主義者であった」というような批判の声が出てきた。

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<福沢諭吉『脱亜論』の要旨> 

日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。 この二国は日本人と同じく
漢字文化圏で、西欧諸外国から見れば、日本も中国・朝鮮と
同列に見られる。
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、日本との
精神的隔たりはあまりにも大きい。 西欧の科学文化、法制、
国際法を知りながら、 過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は
千年前と違わない。
教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、
道徳的な退廃をもたらしており、国際的な紛争でも 「悪いのは
お前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(中略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待しては
ならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に 与ってくれるなどと
いう幻想は捨てるべきである。

日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければ
ならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接しては
ならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って
接すればよい。

悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。 私は気持ちに
おいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

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たしかに、ここだけを読めば、福沢諭吉は、中国・朝鮮を
「悪友」呼ばわりしている。だが、福沢諭吉がこの結論に
達するまでには、いろいろ手痛いしっぺ返しを受けているのだ。

福沢諭吉は、中国、朝鮮の近代化、独立を願って、両国からの
留学生を受け入れ、私財を投じて、朝鮮で初めてのハングル
交じりの新聞「漢城旬報」を創刊したり、さまざまな支援を
行ってきた。

しかし、朝鮮の留学生に塾の金を持ち逃げされたり、応援した
政治家が 義捐金を女に使い込んでフヌケになったり、また、
改革を唱えた者が捕らえられ、残酷な方法で処刑されるに
及んで、福沢諭吉は 大いに失望したのである。

福沢諭吉の思いは、100年経った今日でも、全く通用する
ものである。

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