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平成の虚無僧一路の日記

大杉と野枝の娘「魔子」 

2012年04月20日 外部ブログ記事
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【コラム】エンタープライズ0.2 - 進化を邪魔する社長たち - 第159回 悪魔ちゃんに苺苺苺ちゃん!?「DQNネーム0.2」(マイナビニュース) - goo ニュース

子供の名に「悪魔」と付けようとしたが、役所が
受取りを拒否した事件があった。私は「悪魔」だって
いいじゃんと思った。ヤンキーな父親は覚せい剤で
逮捕され、子供は擁護施設で育ったとのこと。もう
20歳に成人している。どんな子に育ったものか。

芸名なら「緑魔子」がいる。歴史上では、源義朝の
長男の義平は「悪源太」、頼朝は「鬼武者」、阿野
全成は「悪禅師」だ。

大杉栄と伊藤野枝との間に生まれた長女の名は「魔子」、
次女エマ、三女エマ、四女ルイズ、長男・ネストル。

瀬戸内寂聴は、この「魔子」に会って取材している。
昭和39年、「魔子」47歳。博多人形師と結婚して
「青木魔子」となっていた。

大杉栄は魔子を“目に入れても痛くないほど”可愛
がっていた。子供の頃の大杉に抱かれている写真が
何点か残されている。当時では珍しい、ハイカラな
洋装で、大きな瞳をイキイキと輝かせ、物怖じしない
活発な性格だった。

大正6年生まれだから、父大杉栄と母野枝が殺された
ときは6歳だった。大杉栄38才、伊藤野枝28才、
甥の橘宗一6才。

「母の野枝はいつも『どうせ私たちは、ロクな死に方を
しない』と口癖のように言っていた」という。どこへ
行くにも警察の尾行が付いていたが、野枝はつきまとう
警官にも気さくに声をかけ、摩子の子守までさせた
という。

その子「摩子」は、寂聴の取材を受けた4年後の昭和
43年9月28日 交通事故死。51歳。「明るく聡明な
婦人だったが、笑顔の奥に翳りがあった」と寂聴は
書いている。

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