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平成の虚無僧一路の日記

アナーキスト(無政府主義者)大杉栄 

2012年04月19日 外部ブログ記事
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昭和45年、70年安保で騒々しい中、慶応文学部史学科で
「卒論」に取り組んでいた。同期の連中は、「幸徳秋水」や
「大杉栄」を卒論のテーマにしたいと意気込んでいた。

大学教授は「100年経たないと、歴史学の対象にはならない」
と、彼らの意思を無残に砕いた。あれから45年。いや、1911年
(明治44年)幸徳秋水らが処刑された「大逆事件」から 100年が
過ぎ、当時の「無政府主義運動」が、今ようやく歴史の俎上に
上ってきた。

私は、名古屋に来て、北区に虚無僧の墓があると聞いて
「大杉町」を通り、ふと「大杉栄」の名を思い出した。

何か直感がよぎったのだ。大杉栄は、「先祖は名古屋の人
だった。父が軍人であったことから、香川県丸亀で生れ、
東京の麹町、新潟県新発田市へと転居。軍人をめざし
1899年(明治32年)名古屋陸軍地方幼年学校に14歳で入学」と、
名古屋と無関係ではなかった。

大正12年に大杉、野枝と一緒に殺された甥の「橘宗一」の
墓は、名古屋の覚王山日泰寺にあるそうな。

昭和40年当時だったら、まだ当時の関係者が生きていた。
瀬戸内寂聴は、そうした人たちを丹念に取材していた。

「大杉栄」のファンは多いらしい。ネットで検索すれば、
13,300件もヒットする。その中から、転載。

「徹底した人間平等観を持ち、人から支配されることも
人を支配することも拒否する人間は、すべてアナーキスト
である。その意味では、イエスも釈迦も、文人の多くも
無政府主義者だった。正宗白鳥・有島武郎・宮沢賢治・
大宅壮一・埴谷雄高・鶴見俊輔等々、数えて行けば
切りがない」

「大杉は女性をなんとしても一個の人間として、男女に
かかわりない存在者として扱いたかったのである。
そこで大杉は自由恋愛の3カ条をあげる。

一、互いに経済的に自立する。
二、同居することを前提にしない。
三、互いの性的自由を保証する。
 
男の勝手と言われるのがオチだが、大杉にはこれを
邪気なく実践しつづけるものがあった。堀保子との
結婚も夫婦別姓を通した(夫婦別姓の先駆である)。

どこか、共感できるものがある。私は野枝に捨てられた
辻潤かも。

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