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上海大学シニア留学日記

スリランカ研修旅行(5日目) 

2012年04月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

今日で、現地での観光は最終日となる。
同室の青年は朝早く起きて、海に泳ぎに行った。
遅めの朝食をとり、ホテルを出発。



(ホテルの庭)


最初の訪問先はバスで30分程のイギリスとの貿易で
財を成したと言うスリランカの大富豪の館。
もう館の主は亡くなっていて、国家に寄贈されている。



(富豪の館)



(2階へ上がる階段)


この館に日本人の老婦人が案内役でいた。
さらに、スリランカ人の館の管理責任者の60代の男性
も日本語を話す。
この二人がガイドのNさんの日本語の先生だそうだ。
そして、老婦人はNさん宅に一緒に住んでいると言う。


館は100年前位に建てられたものだが、当時の主の
権勢振りが随所に偲ばれる。
館の周囲は広大な敷地だ。


館を見学した後、管理責任者のご自宅に招かれ、
正月のお菓子やマンゴスティという果物などをご馳走に
なる。新築の瀟洒な家だ。



(招いてくれた人達)



(マンゴスティやお菓子)



帰り、折角だからと、館の庭のヤシの木から実を
採って貰い、全員でヤシの実のジュースをいただく。
近所に住むスリランカの青年がヤシの木によじ登って
くれたのだが、木登りも、ナタでヤシの実を捌く腕も
なかなかのものだった。



(素足で登って行く現地青年)



(現地の人はヤシの実のジュースを美味しそうに飲む。)



ここを辞してから、宝石店に立ち寄ってから、電車に乗る。
この宝石店で軽い地震の揺れを感じたそうだが、私は
気付かなかった。


駅は粗末な建物だった。汽車はドアを開けっ放しで走る。
天井には扇風機がずらっと並んでいる。
熱い国ならではの光景だ。



(スリランカの駅と電車)



(天井には吊革と扇風機が一杯)



コロンボまでは3駅位で30分程で到着。
駅は左程綺麗でなかったが、改札を出ると雑踏のように
人が溢れていた。
ガイドのNさんがどうも様子がおかしいと言い出す。
そして、インドネシアで大きな地震が発生し、間もなく
スリランカに津波が到達する時刻を迎えると言う。
それで、人々は家路に急いでいると言う。
スリランカは、前のインドネシアの大地震の時に
3万人もの犠牲者を出したそうだ。
それで、民衆はパニック状態になっている。


コロンボはインドネシアとは島の反対側に位置するので
大丈夫だとは思うものの、駅は港から1kmも離れていない。
観光どころではなくなった。
こんな所で死にたくない。
そのうち、ガイドさんの携帯電話が繋がらなくなった。
我々の専用バスの運転手と連絡が取れない。


ガイドのNさんは、公共バスでとにかく高台に逃げようと
言う。そして、バスに乗り込んだが、車内は満員、午後で
気温が上り、汗がたらたら流れる。
大渋滞の中、バスはなかなか進まない。
それでも、30分ほどして漸く渋滞を抜けだす。
Nさんがこの辺でと判断した所でバスを降りる。
近くには高層ホテルもあるので、一安心した。


暫くして、専用バスの運転手と携帯が繋がり、専用バスが
迎えに来てくれた。
官庁街の喫茶店で2時間ほど待機する。
もう大丈夫だろうと見計らって、土産を買いに
連れて行って貰うと、デパートもショッピングモールも
すべてクローズされている。
従業員を帰したのだろう。
コロンボ市内で夕食の予定であったが、レストランも
どこも閉まっている。


仕方なく、夕日をを見てから、コロンボ空港へ行く
街道筋のスーパーに立ち寄り土産を買い、開いている
レストランで食事をすることにした。



(夕日が綺麗だ)



(現地の3輪タクシー、インド製の軽自動車だそうだ。
 これがどこに行っても一杯走っている。)



私は、スーパーで紅茶をさらに買い込む。
開いていたホテルのレストランで夕食を食べ、
空港に着いたのが出発の2時間前。
検査や搭乗手続きに時間がかかり、空港での
土産を買う時間が殆ど無かった。


けれど、無事日本に帰れるのだから、善しとしよう。
飛行機は現地時間の信也11時30分、定刻に
飛び立った。

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