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平成の虚無僧一路の日記

大倉喜八郎と喜七郎父子 

2012年04月09日 外部ブログ記事
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大倉 喜七郎(1882年 - 1963年)は、大倉財閥の2代目総帥。
東京生まれ。父は大倉財閥創始者の大倉喜八郎。

まず、父の「喜八郎」は、
新潟県新発田市出身。安政元年(1854)江戸に出て、銃砲の
販売で名を馳せた。新政府の御用商人として軍需品の調達・
輸送、土木建設工事などに従事し、蓄財していった。
東京電灯(現・東電)、帝国ホテルその他数多くの企業の
設立に参画し役員に就任した。
大正6年(1917)、大倉商事、大倉土木(現・大成建設)、
大倉鉱業を直系3社とするコンツェルンを形成し、戦前の
5大財閥(三井・三菱・住友・安田・大倉)のひとつに
数えられた。


その御曹司で男爵になったのが「大倉喜七郎」。
慶應幼稚舎、慶應普通部を経て慶應義塾大学を卒業。
その後1900年、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。

「喜七郎」は、父の跡を継ぎ実業家で趣味人であった。
戦後の公職追放、財閥解体で 帝国ホテルを手放すこととなり、
自らの邸宅後にホテルオークラを建てたほか、伊豆の「川奈
ホテル」など、高級ホテル業に専念する。

私も“ご幼少の頃”伊豆の「川奈ホテル」で遊んだ記憶が
ある。「フレッシュジュース」が一杯400円。今の 2,000円
ほどしたのを覚えている。普通の喫茶店だと、コーヒー50円
(昭和30年)?60円(昭和35年)の時代だった。

千代田生命の中島社長もダンディで「正月は毎年、川奈
ホテルに泊まり、財界人とゴルフ」と言っておった。

千代田生命・千代田火災の創業者「門野幾之進」の弟が
「大倉財閥」の重鎮であったことから、千代田と大倉との
結びつきは強かった。戦後、千代田火災と大倉火災が合併
しており、千代田の社長は代々「大成建設」の社外役員に
なっていた。

その関係で千代田生命本社ビルはじめ、多くの建物は
「大成建設」が請け負っていた。そして、私も1年
「大成建設」に出向させてもらったことがあった。

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