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平成の虚無僧一路の日記

ホテルニュージャパン 

2012年04月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



赤坂の「プルデンシャルタワー」の地は、いろいろ 歴史のある
土地なのだ。

まず、1936年(昭和11年)2月26日「二・二六事件」の際に、
反乱軍部隊が立ち寄った日本料亭「幸楽」の跡地だった。

その「幸楽」は戦時中、撃墜されたB-29が落下して、全焼
している。

その跡地に「藤山愛一郎」率いる藤山コンツェルンが、当初
高級アパートメントの建設を計画した。ところが、時あたかも
昭和39年(1964)の東京オリンピック。需要を見込んで、急遽
ホテルへと計画変更された。

建設当時は「東洋一の格式」を誇るに「日本初の都市型多機能
ホテル」として、注目を浴びた。

国会議事堂からも近いことから政財界・芸能界の利用も多かった。

地下のナイトクラブは、1963年に「力道山」が暴力団員に刺殺
された事件が発生している。昭和史を彩る有名ホテルだったのだ。

しかし、ニューオータニ、オークラ、ヒルトンなど相次ぐ大型
ホテルの建設で、ニュージャパンは経営が悪化、藤山コンツェルンの
衰退により、横井英樹がこのホテルを買収した。

横井は、徹底した合理化を促し、消防法も無視して、スプリンクラー
などの防火装置も付けていなかった。そして、1982年に火災が
発生し、33人もの死者を出し、廃業となったのである。

私も一二度利用したが、廊下もレストランも異様に暗く、
ジユースが800円、スパゲッティは 2,500円と異常に高かった。
なんか、二二六事件や米機墜落の怨念を感じるような薄気味
悪さがあった。

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