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平成の虚無僧一路の日記

偽造された「家康公・慶長のお墨付」 

2012年04月03日 外部ブログ記事
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虚無僧へ与えられたといわれる『家康公お墨付』に、
「板倉勝重」が「本田正信・正純」父子とともに署名
している。ありえないことらしい。

「板倉勝重」は京都所司代だった。その子「板倉重宗」も
父の跡を継いで京都所司代となった。

「板倉重宗」が京都所司代の時(1620-1656)、寛永15年
(1638)「島原の乱」が起き、弟の「重昌」が総大将として
派遣され戦死する。

乱の後、浪人の取締りが厳しくなり、京都白川橋辺に仮住まい
していた虚無僧「淵月了源」も京都所司代に呼びだされる。
「淵月」は「尺八をよすがとして暮らすもので、ご政道に
そむくような不埒な心は起こしませぬ」というような
申し開きをし、所司代重宗は「その心にいたく感じ、尺八
を吹く者は悪さをするまい」と、妙法院の裏に45坪の
土地を斡旋してくれ、一宇を建ててくれた。それが「京都
明暗寺」である。

「京都所司代板倉重宗」は、弟「重昌」が尺八を吹いていた
ことから、虚無僧「淵月」に好意を示したのであろう。

この「京都所司代・板倉重宗」が虚無僧を容認してくれた
ことから、後世、虚無僧たちは、勝手に「家康公お墨付」を
偽作し、その署名人に「重宗」の父で京都所司代の「勝重」の
名を盗用したのではないかと私は考えている。

なお、「板倉重宗」の遺品の中に「普化禅師」を描いた
掛け軸があった。「淵月」が御礼に贈ったものだろうか。
これは推測。

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