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平成の虚無僧一路の日記

尺八を吹いた殿様 板倉重昌 

2012年04月03日 外部ブログ記事
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愛知県額田郡幸田町は、江戸時代は「深溝藩」と言った。

「深溝藩」 1万5000石の領主「板倉重昌」は、寛永15年(1637年)
島原の乱鎮圧の総大将として出陣したが、戦果を挙げられず。
江戸から新たに松平信綱が増援として送られたことを知ると、
功をあせって自ら突撃し、討死にしてしまった。

その「板倉内膳正重昌」は尺八の名手だった。
尾張徳川家の古事を綴った「昔咄」の中に、記述がある。

「寛永の頃、公家様(将軍家光)へ御三家普大名衆より
小姓踊りをしくみてあげられしことあり。 これを御国では
殿様踊りと言い表しぬ。 この唄は三味線なく、小鼓太鼓
ばかりの囃子なり。(中略)
江戸お屋敷にて毎日7ッ頃より稽古ありし。 板倉内膳正
(重昌)殿御心安く出入られ、尺八上手なりしが、 右稽古の
時を見計らって参られ、尺八吹きて合わされしが いと面白かりし。
まもなく原城にて討ち死にあり」。 


江戸時代の初期1630年代に、尺八は大名も吹いていた
ことを知る貴重な史料だ。それも、虚無僧尺八ではなく、
中世の田楽など歌謡に伴奏として尺八を吹いていたことが
わかる。その尺八は、おそらく節が三つの「三節切(みよぎり)」
だったろう。

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