メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

熊本「山鹿町」と「山鹿素行」は関係無かった 

2012年04月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



九州熊本県の北部に「山鹿市」がある。「赤穂市」と
姉妹都市の関係を結んでいる。赤穂浪士といえば
「山鹿流陣太鼓」。その「山鹿流軍学」の「山鹿素行」と
関係があるかと、訪ねてみたが「関係は無い」とのこと。

「山鹿素行」の父は、蒲生氏郷に伴って伊勢松阪から
会津に来たとされる。それ以前の出自は不明で、
熊本の「山鹿市」との関係は見出せなかった。


その代わり、「山鹿市と赤穂浪士」の意外な
関係がわかった。

「山鹿市」に「日輪寺」という寺があり、そこに
大石内蔵助以下、赤穂浪士17人の遺髪が祀られて
いるのだ。

赤穂義士四十七士は、吉良邸に討ち入り本懐を遂げた後、
細川、松平、毛利、水野の各藩にお預けとなる。
そのうち、大石内蔵助を始めとする幹部級の十七士は
細川家に“お預け”となった。内蔵助らを預かった
細川家では、義士たちを丁重にもてなした。その
接待役に当たったのが「堀内伝右衛門」。

伝右衛門は、義士達と親しく接し、義士達の話しを
詳しく書き留めていた。その「堀内伝右衛門覚書」に
よって、義士達の切腹の様子などが、後世に明らかに
されている。

伝右衛門は義士達の遺髪をもらい受け、知行地である
菩提寺である山鹿の「日輪寺」に遺髪塔を建てて
手厚く祀った。それで、山鹿でも毎年2月には
「義士まつり」が行われ、遺髪塔前で慰霊祭が行われて
いるとのこと。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ