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たかが一人、されど一人

誰にも来るか 

2012年03月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨日映画「マーガレット・サッチャー」を観ての感想文を書いた。その中で、あんなに立派な仕事をされた方が現在認知症になっているのをお気の毒と書いたばかりだ。ところが今朝わが身に似たようなことが起こり、びっくりしている。休日の日課にしているのだが、朝食の後9:05に家を出て地下鉄の駅で9:19の電車に乗る。ホームに到着するのは9:17列車の入線まで概ね2分。大体いつも同じフィットネスに通う顔見知りの女性が並んで立っている。今日も「間もなく列車が到着します」とのアナウンスがあった。おそらく列車が到着する1分弱前のことだろうが、これははっきり記憶している。ところが、次に聞こえたのが列車の入ってくる轟音ではなく、「乗らないのですか?」との女性の声である。はっと我れにかえると、列車のドアの向こうに女性が立ってこちらを見ている。「イヤー呆けてしまって、ありがとうございます。」と照れ笑いをして乗り遅れずに済んだ。昼間読書をしている時に、バタリと本を落として、その音でびっくりして我にかえることは度々だが、朝の9時に立っているだけで脳みそのヒューズが切れたのは初めてだ。その間目は閉じていたのか開いていたのか、今にして思うと声を掛けてくれた女性に聞いておけばよかった。来週も顔を合わせるだろうから聞くことにしよう。正に他人の頭の蝿の前に己の頭に止まった蝿の心配をしなければならない。自分では初めてのように思うが、考えると囲碁なんかでも「ア!」と思う様な手、即ち一所懸命に考えているつもりだが思考停止状態になっていたようなことは何度もある。未だ認知症を認めたくないし、医者に診てもらう気もないが、自分では相当意識せざるをえない。車を運転する事はもうないので、事故を起こして他人に迷惑をかける事はないだろうが、自転車に乗るにしても、ある時ふっと意識がなくなれば相当に危険だ。考え始めるといろいろ思い浮かぶ。先日友人が遺言を書いた事を笑っていたが、財産は無くても必要があるかもと思い始めた。

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