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平成の虚無僧一路の日記

日本史を研究するなら外国で? 

2012年02月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私は、子供の頃から歴史が好きで、親の意向を
“無視”して、慶応の文学部史学科に入ってしまった。
英語が嫌いで、日本史なら日本語だけだろうと思って
いたら、とんでもはっぷん。

ある講座は「バタヴィア文書」の解読だった。
「バタヴィア」とは、今のインドネシア。ここに
オランダは「東インド会社」を設立し、日本と交易を
行っていたのだ。その膨大な記録が、インドネシアと
オランダ・アムステルダムに保管されている。
英語どころじゃない、いきなり「オランダ語」の
翻訳だった。一語一語単語を辞書で引いての悪戦苦闘
でした。

また、ルイス・フロイスの「イエズス会日本通信」や
「日本史」は ポルトガル語。日本とマカオとの交易も
「ポルトガル語」の解読が 授業だった。

福沢諭吉もそうだったように、慶応の授業というのは、
「先生から教わる」のではなく、自分で「原書」を
探しだしてきて、独学で解読し、問題を見つけることだ。

「音吉」の戸籍と墓がインドネシアで見つかったという
ニュースがあったが、「バタヴィア文書」では、江戸時代
初期に日本から追放された「ジャガタラお春」の記録まで
残されている。あの膨大な資料の中から「Haru」の名前を
見つけた先人の努力には頭が下がる。

『完訳フロイス日本史』全12巻が 2000年に出された
ことにより、明智光秀の「本能寺の謎」も紐解かれた。

日本人の中だけで信じこまれてきた「日本史」が、
世界的視野から覆されていく。ああ快感。

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