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平成の虚無僧一路の日記

仙石騒動 

2012年02月20日 外部ブログ記事
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「仙石(せんごく)騒動」は、但馬国・出石藩(いずしはん)で
起きたお家騒動だが、これが幕府の老中首座・松平康任の
失脚にまで発展する大騒動となった事件。(藩名は「出石」で、
藩主も、騒動の当時者二人も 皆「仙石」姓なのでややこしい)

この事件の発端は、虚無僧「神谷転(うたた)」が 昼日中、
南町奉行所に捕らえられたことに始まる。

この事態に、普化宗本山の「一月寺」が「虚無僧は 寺社奉行の
管轄で、町奉行が捕縛したのは違法である」と、寺社奉行所に
訴えた。

訴えを受けた 寺社奉行の「脇坂安董」が よくよく調べて
みると、どうやら 但馬「出石藩」のお家騒動で、家老の
「仙石左京」が 老中首座「松平康任」に手を廻し、反対派の
手先「神谷転」の捕縛を頼んだと判る。

「仙石騒動」は、「仙石家」の世継ぎをめぐって、家老の
「仙石左京」と、対立する「仙石造酒」の争い。「造酒」
一派が 「左京は 息子小太郎を 次期藩主にしようと企んで
いる」と、江戸に居る先々代の夫人や 一門の旗本「仙石
弥三郎」に訴えた。

その動きを察知した「左京」が、息子「小太郎」の妻の
叔父に当たる老中「松平康任」に、「造酒」一派の連絡役で
虚無僧となって潜伏していた「神谷 転」の捕縛を頼んだの
だった。

西国小藩の「お家騒動」だったが、野心家の「水野忠邦」が、
これを利用して、老中首座の「松平康任」を追い落とし、
実権を握ろうと動いた。そして将軍家斉に「仙石家のお家
騒動に 老中 松平康任が加担している」と言上した。

その結果、天保6年(1835年)、仙石左京は獄門になり、
息子・小太郎は八丈島へ流罪になった。
また幕府内でも、老中「松平康任」、南町奉行 筒井政憲と
勘定奉行 曾我助弼が失脚した。

そして「水野忠邦」が 実権を掌握し、「天保の改革」を
断行するに至るのである。

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