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平成の虚無僧一路の日記

会津藩の江戸湾警備 

2012年02月19日 外部ブログ記事
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この翌年 1810(文化7)年、会津藩は、今度は江戸湾の警備
を命ぜられ、三浦半島の観音崎、久里浜、城ケ島に砲台と
陣屋を築き、10年に及び 駐留する。

1811年(文化8年)には、松前藩が 測量のため千島列島を
訪れていたディアナ号を国後島で拿捕し、艦長ゴローニンら
8名を捕らえ抑留する事件が起きる。

その後1847(弘化4年)会津藩は、再度、江戸湾警備を命ぜられ、
房総半島の上総富津と竹岡に陣屋と砲台を構えて警備に就いた。

松平容保が18歳で会津藩主となった翌 嘉永六年(1853)、
アメリカのペリーが艦隊を率いて浦賀沖にやって来る。
ペリーの江戸湾侵入を小船に乗って阻止したのは、会津藩
だったのだ。

ペリーが去った後、会津藩は 江戸湾内に「お台場」を築き、
その「品川第二砲台場」の防備に着任し、安政六年まで続いた。

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