メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

福沢諭吉の出身地は? 

2012年02月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



○○高校の入試で「福沢諭吉の出身地はどこか」という問題が
出たそうな。ちょっと知っていれば「九州、大分県、中津市」だ。

ちょっと待て。実は、父福沢百助は、大阪の中津藩の蔵屋敷に
勤めていたので、諭吉は、「天保5年(1835年)大坂・堂島浜
(現・大阪市福島区)にあった中津藩の蔵屋敷」で生まれている。

だから「生まれは大坂(現大阪)」。「出身」とは生まれた土地か?
所属する藩なのか。なまじ知識があると、私は悩んでしまう。
だから「試験」は嫌いだ。

生まれたのは大阪だが、翌年父が亡くなり、1歳の時には
中津に帰っているから、育ちは中津。そして19歳で、中津を
出藩し、長崎、大阪、そして江戸の中津藩邸へと移る。

幕末最後の身分は「幕臣」。つまり中津藩士ではなく、
徳川の旗本でござった。だから、薩長閥の明治政府には出仕
しなかったのだ。その点が「勝海舟」と大違い。

中津に行けば、今も「福沢諭吉の生家」が残されており、
中津の観光地となっている。

一昨年、虚無僧で行ってきました。中津へ。日豊本線の
「中津」の駅構内も「福沢諭吉」の「独立自尊」ほか
扁額がかかげてあって、福沢諭吉一色。

「中津名物は福沢諭吉も食べた鳥のから揚げ」だそうだ。
知らなかった。今 全国展開している。

駅前は区画整理され、広い道に まばらなビル。こういう
町は虚無僧は苦手。歩けど歩けど人影がない。閑散として
いる。旧武家屋敷の面影を残す一画で「門付け」をしてみた。

福沢諭吉の「独立自尊」が染み渡っている。物乞いには
冷たい。でもでも・・・・。諭吉のおっかさんは、乞食の娘も
家に招き入れ、風呂にいれてやったり、虱をとって
やったりしたではないか。「あわれな虚無僧におめぐみを」。
実はちっとも哀れでない。こちとらは「慶応卒」で、好きで
虚無僧やっとるんじゃ。悪いかぁ! と気合をいれたら、
やっと一軒、けげんな顔をしながら、ご喜捨いただいた。
ちょっと恥ずかしかったです。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ