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たゆたえど、沈まず

COPDと向き合って 

2012年02月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

自分がCOPDだと知ってからほぼ一年が経った。
当時、ネットでいろいろ調べ、西洋医学では致死性疾患であり、治癒不能な全身病であるという現実を掴んだ。
医学では治せないなら医学に頼るのは間違いである。

とりあえず、医学の力は脇役に位置づけて、病態に対する情報やヒントになりそうな治療の方法があればそれを取り入れようと思った。
60を過ぎてから、健康と実益を兼ねて新聞配達と郵便配達のアルバイトをやっていたが、毎日8時間に及ぶ配達という野外の軽作業が病気の進行をかなり食い止めていることを実感した。
しかし、時々起きる増悪の影響で、それも体力的に限界にきており、14日ある有給休暇では足りず20日以上欠勤をして職場や仲間たちに迷惑をかけるようになっていた。
一年前、目一杯生きている私に、神様は手首の骨折という休養の機会を与えてくださった。
手首の骨を三カ所も折り、同時に肩を痛め右手がほとんど使えなくなった。
単純な骨折の治療方法は医学が発達しても旧態依然である。
患部をギブスで固定し、自然に回復するのを待ち、固まった手首をリハビリで元に戻す。
回復のスピードは若い人には及ばない。
当時、加圧トレーニングに興味を持っていたので、加圧トレーニングをやっている接骨院を探し、M先生と出会った。
私の希望は骨折の早期治療と全身の体力強化である。
先生は私の全身を触り、「ヨレヨレの老人寸前の筋力」と言われ、付き添ってきた女房は「前回の増悪でまるで枯れ木のようになってしまった」と横から言った。
当時義妹も「ホントに枯れ木みたいになっちゃったねぇ、ああやって枯れていくのかねぇ」と言っていたらしい。
確かに、増悪の度に衰え、細くなっていた。
自分ではメタボじゃなくなった細身の自分を気に入っていたが、事態は深刻であったようだ。
もし、トレーニングをこの時から始めていなかったら今頃は寝たり起きたりの生活、最悪なら酸素ボンベを付けた寝たきり老人になっていたようだ。
危ういところであったことは、今になってこの一年間のトレーニングで実感できる。

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