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阿吽倶流 さんのプロフィール

2024/05/18 黒部
阿吽倶流さん 「海辺でヨガ」に拍手をありがとうございます。青空の下で気持ちがいいでしょうね♪

2024/05/17 おかちゃん
こんにちは。夾竹桃に拍手頂きありがとうございました。夾竹桃の名前の由来は、葉が竹に似て細く、花が桃に似ているところから付けられたそうです。

2024/05/16 真由
阿吽倶流さん初めまして ギャラリーにお立ちより頂きまして嬉しいです。下手な写真に拍手をありがとうございます。

2024/05/16 fossile
ギャラリーに拍手、ありがとうございます。

ギャラリー作品一覧

2511件〜2520件を表示 (3490件)

    No 2511
    作品名 北海道開拓の村
    説明 ●百年記念塔●
     北海道百年記念事業の主要事業の一つとして、北海道の開拓に尽くされた先人の苦労に対し感謝の心を込め、未来への限りない発展を象徴するものとして建設された、高さ100mの公園内のシンボル的な塔です。

    ※これで北海道開拓の村シリーズを終わります。
    北海道開拓の村
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    No 2512
    作品名 北海道開拓の村
    説明 旧開拓使工業局庁舎
     明治6年(1873)に設置された開拓使工業局は、道路・橋梁・官庁・学校などの施設をはじめ、家財、機械・農具・車両などの製造事業を行い、本道開拓の発展に大きな業績を残した。
    北海道開拓の村
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    No 2513
    作品名 北海道開拓の村
    説明 女性に人気の馬車鉄道はにぎやかです。
    北海道開拓の村
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    No 2514
    作品名 北海道開拓の村
    説明 旧近藤医院 
     この建物は、明治33年(1900)に函館病院から古平病院長として招かれ同35年に古平町で開業した近藤清吉が建てた病院で、昭和33年(1958)まで使われた。
    北海道開拓の村
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    No 2515
    作品名 北海道開拓の村
    説明 旧浦河公会会堂
     明治13年(1880)、神戸において北海道開拓会社「赤心社」が設立され、翌14年から西舎村や荻伏村に結社移民として入植した。「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で、明治19年「浦河公会」が組織された。
    北海道開拓の村
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    No 2516
    作品名 北海道開拓の村
    説明 旧本庄鉄工場

     明治30年から2代にわたって営業した本庄鉄工場の仕事場として、大正14年(1925)から昭和50年代まで使用されていた。石狩川河口にひらけた旧市街にあって、漁具や漁船の付属品のほか、農具などを作っていた。
    北海道開拓の村
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    No 2517
    作品名 北海道開拓の村
    説明 旧北海中学校

     この校舎は、明治41年(1908)から翌年にわたって建築された本館部分である。創立は明治38年(1905)で、前身は札幌農学校第三期生らが中心となり明治18年(1885)に設立した私立北海英語学校である。外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式である。
    北海道開拓の村
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    No 2518
    作品名 北海道開拓の村
    説明 幼い頃にいつも母が居た台所を思い出す。
    北海道開拓の村
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    No 2519
    作品名 北海道開拓の村
    説明 昔の食卓は朝餉夕餉に人が集まった。
    北海道開拓の村
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    No 2520
    作品名 北海道開拓の村
    説明 札幌で家業である菓子製造の技術を習得した大石泰三が、大正14年(1925)帯広町の繁華街電信通りに店舗を求め、菓子の製造販売を始めた建物である。
    北海道開拓の村
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