四年前のことであった。
私は、四国霊場八十八ヶ所を、徒歩で回っていた。
その日、私は、愛媛県の海辺の町を、早朝に出発し、
幾つかの寺を巡り、夕刻、今治市郊外の、山の中の寺に着いた。
第五十七番札所、栄福寺。
こぢんまりした、静かなお寺であった。
鐘楼に上り、鐘を撞いた。
本堂と大師堂、それぞれに線香を上げ、般若心経を唱えた。
それから納経所に行き、納経帳にご朱印を受けた。
全て型通りであり、そこに格別のことはなかった。
栄福寺について、その格別の意味を知ったのは、帰宅後であった。
私は、遍路旅を紀行文にまとめようと、資料を漁っていて、
この寺の若い住職、白川密成さんが、本を出していることを知った。
「ボクは坊さん」
すぐさま図書館に走り、すぐさま借りて帰り、すぐさま読んだ。
白川さんは、前住職であるところの、お祖父さんの死去により、
二十四歳の若さで、寺を継ぐことになった。
文字通りの“若僧”が、寺の経営に戸惑いつつも、
持ち前の誠実さで、檀家の皆さんの信認を得て行く、
その様子が、詳しく語られている。
そして、天性の素直さもあるのだろう、
ややもすると、抹香臭い仏教が、彼の感性により解かれると、
そこにある種の爽やかさを放つから不思議だ。
「わからないことを、わかったとしない」
衆生を導くべき、僧職の身で、正直にそうおっしゃる。
仏教の問題点は、実はここにある。
私達は、ややもすると、わからないことを、
わかったような顔をして、やり過ごしてしまうところがある。
白川さんの説明は、平明にして、尚且つ的確に、仏教の本質に迫っている。
「後世畏るべし」
私は、歳だけは遥かに後輩である、この僧侶により、
多くのことを学ばせてもらった。
その後に私は、遍路紀行文を一冊にまとめ、出版した。
「風に吹かれて遍路道」
幸いなことに、各地の図書館に、蔵書してもらうことが出来た。
この、あと書きの中で、白川さんの書かれたことを、幾つか引用させてもらった。
「もしかしたら『旅』の意味の多くは、その目的地ではなく、
途中の道端にあるのかもしれない」
これなど、旅の本質を衝いて、快哉を叫びたくなるほどに、その通りなのである。
その「ボクは坊さん」が、映画化されることになった。
私は、その公開を、一日千秋の思いで、待ちわびていた。
* * *
映画は、払暁の栄福寺の、鐘楼から始まった。
ごーん・・・
明るみ始めた空に、かつて私も撞いたその鐘が、重厚な音を響かせる。
遍路旅の楽しみの一つは、実はこの、鐘撞きでもあったのだ。
朝の勤行が始まる。
剃髪したばかりの頭を、青頭と称することがある。
この寺の若い住職の頭がそれだ。
実にもう、清々しい。
見覚えのある本堂の前に、遍路の人々が群れている。
老若男女がいる。
かつて私も、その中の一人であった。
祖父の突然の死と、急遽、勤めを辞め、寺を継ぐことになった、
主人公の戸惑いが、丁寧に描かれている。
と思う間もなく、映画は原作と違う方向へ進み始めた。
原作になかった逸話が、幾つも挿入されている。
幼馴染の女性の、結婚、病気、出産を経て、ストーリーは意外な展開を見せる。
もしかすると、原作出版後に、住職の身辺に、起きた事なのかもしれない。
あるいは、フィクションと言うことも考えられる。
どちらでもいい。
今日の私は、映画を見に来ている。
映画には映画の、組み立て方があるはずだ。
観客の興味というものを優先し、これを繋げて行くことを考える。
そのためには、原作をがらりと変えてしまうことさえある。
この際、映画に身をゆだねている方がいい。
住職の義侠心が、事態を意外なドラマへと発展させ、映画は終った。
祖父である、老僧がよかった。
檀家の長老を演じた、イッセー尾形もよかった。
普段、ひょうきんな役ばかりの彼が、その渋面に、実にいい味を漂わせていた。
そして、祖母役の松金よね子だ。
四年前のあの日、納経所に座り、旅人の私に対し、
次の寺への道を、懇切丁寧に教えてくれた女性そのままの、
穏やかな笑みを浮かべていた。
そうそう、主演の伊藤淳史も褒めておかねばならない。
若い住職、白片光円を演じ、熱演であった。
映画は再び、栄福寺の鐘楼に戻り、今度は晩鐘が鳴って、
エンディングに入った。
撞きたいなあ、あの鐘を・・・
私だけが、他の観客とは、違う視点と、多分違うであろう感懐を抱きつつ、そのエンディングを見ていた。
* * *
以下は余談です。
九月半ばのことでした。
この映画が、シニアナビの、試写会招待に設定されていることを知り、私は応募しました。
一刻も早く、映画を見たかったからです。
しかし、落選したようです。
外れた場合、事務局は、報せも何も出さないのだそうです。
(ちょっと不親切。落選者に、同送メールを出すくらい、どれほどの手間でしょう)
試写会は、九月三十日でした。
シニアナビの試写会招待に於いては、その要項に、次の条件が書いてあります。
「メンバーズギャラリーの“レビュー”に映画の感想を投稿して頂ける方」
私は、心待ちにしておりました。
当選され、試写をご覧になった方が、その感想を、ギャラリーにUPして下さるのを。
しかし、一向にその気配がありません。
当選者は10組、つまり20人が、ご覧になった可能性があるのに・・・です。
たまりかねて、事務局にもメールを出しました。
招待の栄に浴しながら、レビューのレの字も書かないのは、
怠慢ではないか。
シニアとして、良識に悖ることではないかと。
そして、その事態を放置する事務局もおかしい。
有名無実の規定なら、そもそも、掲げる意味がないではありませんかと。
(言葉使い、丁寧でしょ)
事務局からの返信には、こうありました。
「今後は、『条件』という表記を変更させていただき
基本的にはメンバー皆様が応募できる内容に変更させていただきたと思います」
(原文のまま)(助詞が抜けてたり、読点がなかったりするけれど)
なーんだ・・・です。
言われたから、規則を外す。
それも、放縦を追認するように。
朝令暮改のような、その安易さに、少々がっかりさせられました。
偶然でしょうか、私が事務局にメールをした日、
待ちかねた「ボクは坊さん」のレビューが一つ、ギャラリーにUPされました。
10月12日の夜遅くのことです。
試写会から、既にして10日余も経っていました。
これを見て、またもや、がっかりさせられました。
レビューに書いてあることは「映画com.」というサイトあった説明文の、
そっくり丸写しだったからです。
規定を守らないシニア。
他人の文を丸写しして、良心に恥じないシニア。
決して、このような人ばかりではないと思いつつ、
このシニアナビにも、少々失望せざるを得ません。
特にその、運営体制にです。
私はもう、試写会招待に、応募することはないでしょう。
オフィシャルオフ会とやらへ、出席することもないでしょう。
さりとて、腹立ちまぎれに、このシニアナビから、抜けることもありません。
上記のような、理解に苦しむメンバーが存在する半面で、
良識を弁え、義に篤い方々が、あまたいらっしゃるのですから。
そして映画です。
私は、映画は自費で見ることにします。
そして、その結果は、洩らさずレビューに投稿しようと思います。
長々と、駄文をお読み下さったあなたへ、心からのお礼を申し上げます。
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