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作品名 アカンタレの話(2) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(2)
投稿者 比呂よし 投稿日 2013/12/27 10:11:49

+++互いに無関心であった訳ではない。体に触れ
てみたいし、おしゃべりをしてみたいし、パンツも
脱がせてみたい。私も例外ではなかった。

2.潮見台
 
 同じ神戸の須磨区内で、私の家やJR須磨駅から
東に位置するのに、学校が「西」須磨小学校という
のはヘンだが、昔も今もヘンなままである。級友の
中で、私の家が学校から最も遠く離れた、潮見台町
に住んでいた。

 学校からの帰路はこうなる:先ず校門から少し登
り坂になった離宮道へ出て、やがて左へ曲がって山
陽電鉄の須磨寺駅の踏切を跨ぐ。門前町の商店街を
抜け、須磨寺の境内に入り込み、それが済むと広い
土埃りの道に出て川崎重工業の家族寮の前に達し、
やがて山下汽船の社長だと聞いていた広大な屋敷前
を歩く。坂道が一番きつくなってから、てっぺんに
達するやそれまでの広い土の道は、突然切れるよう
にして突き当る。

 突き当ったのを左に折れてやや細いコンクリート
道に入り、二度折れ曲がってーーー、やっと自分の
家へ辿りつく。子供心にも、実に延々たるものだ、
と思っていた。

 途中様々に子供の気を惹く景色の変化はあった
ものの、学校から長い緩やかな登りの道を片道三
〜四キロあったろうか、飽き飽きしながら一時間半
位掛かった。背の低かった私は地べたを這うように
して毎日往復し、それは恰も一種の運動であった。
 
が、運動をすれば体が丈夫になるというのは嘘で、
それが証拠にこれほど歩いたのに、私の体格は未だ
に貧弱なままである。

 先に書いた通り、家は潮見台町である。深呼吸を
すれば何となく気持ちがよさそうな地名だが、住む
人には買い物に不便で、現在も未だにバスも通わな
い。

 JR須磨駅(旧 国鉄)から、道幅は広いが両側
にこんもりと木の繁った急坂を、大人の足で三十〜
四十分も歩かされる苦行の町だ。昔オートマ車は無
かったから、マニュアルシフトの車のタクシーに乗
れば、慣れない運転手がこの坂の途中でクラッチ合
わせを間違えると、車が三米ほどバックして後を付
けて来た狐を轢き殺す。だから通称キツネ坂と呼ば
れた位に、坂がきつい。

 昭和の時代に狐が本当に居たのか怪しいが、因み
に、轢き殺される数が多かったせいか、狐はもう絶
滅したと聞いている。

 そんなに怪しげで不便だのに、何故か住民には一
種のプライドみたいなのがあった。今でこそXX台
という地名が大流行(おおはやり)で、谷底にさえ
そんな呼び名を付けかねない勢いだが、六十年前の
昔に、潮見「台」は希少価値だったのである。

 そこには「台」から落ちこぼれそうなほど、住宅
がぎっしり建て混んで、火事でも起きたらひとたま
りも無い。だから、「あそこへ住むのは一種の信仰
だ」と皮肉った人もいた位のもので、海方向から吹
く空気さえ住民で分け合い、勝手に深呼吸もままな
らない位の混雑振りである。

(つづく)

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