「ズーーー」
蕎麦を啜る音です。
それがまた、やけに太く、そして長く響きます。
今時は、飲食に際し、音を立てないのがマナーです。
昔は、大らかでした。
ましてや、屋台の蕎麦ですから。
落語「時そば」の、その一番の見せ場です。
物を引きずるような、がさつな響きを、どうしたら、
口から出せるんでしょうね・・・
唇を窄め、そこに舌をあてがい、息を吸い込む。
それだけのことでも、さぞ、工夫があり、鍛練があるのでしょう。
そしてまた、噺家は、肺活量も豊かでなくては、いけません。
実際に食べるより、もっと“らしく”見せる。
うまそうに見せる。
これが「芸」です。
ポピュラーな噺だから、多くの噺家が、これをやっていますよね。
私だって、何回聞いたから、知れやしません。
芸だから、当然そこには、上手い下手があり、
「感極まった」こともあれば、上手いには違いないが、極まるまでには、行かなかったこともあります。
これを越える芸は、今の噺家には、ないのではないか・・・
そう思わせるような「時そば」を聞いて来ました。
いえ、寄席ではありません。
映画館でです。
柳家小さんが、まだこちらの世で、達者な頃の映像です。
そのまあるい顔を、さらにふくらませ、蕎麦を啜っていました。
昔と今を比較するのは、そりゃ、むずかしいです。
例えば、昔の横綱大鵬と、今の横綱白鵬との、どっちが強いか・・・
というようなものです。
答えは出ませんよね。
実際に、戦えないのですから。
芸事の場合は、まだ、比べやすいのです。
映像と言うものが、残っていますから。
「昔はよかった」が口癖の、老人の真似をしたくは、ないのですが、
それでも私は、昔の噺家の方が、上手かったと思うのです。
小さんの「時そば」を、スクリーンに見ながら、
私は、映画館に居ることを忘れ、噺が終わった時には、つい、拍手をしておりました。
他に、桂文楽、古今亭志ん朝、三遊亭円生など、錚々たるところが、
出ていました。
それぞれ、お得意の噺を、引っ下げてです。
皆さん、昭和四、五十年代の、油の乗り切った頃です。
落語を、映画で見るなんて・・・と、馬鹿にしたものでもありません。
昔の名人芸というものに、安ーい料金で、出会えるのですから。
人を笑わせるからでしょうね、いろいろな芸能の中で、落語を一段、
低く見る向きもあります。
私は、あれが気に食いません。
実は、落語ほど、むずかしい話芸はないのです。
うどんと蕎麦、この食べ方の違いを、音で演じ分けるくらいですから。
シネマ落語「昭和の名人・六」は、東京銀座の東劇で、
11月29日まで上映されています。
これを見て、「ああ俺は、いい時代に生きた」と思わない落語ファンは、
多分、居ないでしょう。
おや、いらっしゃる?
お会いしたいもんですね、そう言う方と。
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